ギャラリーナイトのワンシーン。
アート鑑賞の後は、振舞われた赤ワインやシャンパン、
サンドウィッチを片手に団欒を楽しむせっかく出会っていたけれど、こちらとの"チューナー"が合っていないために出会いが出会いになっていなかった――そんな言い方が許されるとしたら、それが私にとっての"コンテンポラリーアート"だった。
ブエノスアイレス名物のひとつは、毎月末に開催される"Galley Night(ギャラリーナイト)"。指定された地域のいくつものギャラリーが一般公開され、人々は各ギャラリーで振舞われるシャンパンを片手にギャラリー巡りを楽しむ。ギャラリーが開放されるのが夜7時なのでその名がある。
そしてそのギャラリーナイトが一晩のみならず毎晩開催されたことに加えて、昼間ギャラリー巡りをするツアー(ガイドの説明つき)や、アーティストによるアーティストのためのコンフェレンスが開かれたりと、1週間がそのままアートに捧げられた"ラ・セマナ・デル・アルテ(アートウィーク)"が9月19日から25日までの間、ブエノスアイレスで開催された。そして今回もたくさんのコンテンポラリーアートギャラリーが参加していた。
ガイドの説明に耳を傾ける
ギャラリーツアー参加者
アートコンフェレンスでは「アートを教える、とは?」
「今日の芸術を考える」などと評され
パネルディスカッションが行なわれた
"ラ・セマナ・デル・アルテ(La semana del arte)"
期間中は、各地域で平均15ギャラリーが開放された。コンテンポラリーアートに興味を覚えたきっかけは、あるギャラリー巡りで聞いたワンストーリー。それはある芸術家がトイレの便器を持ってきて自分のイニシャルを入れ、彼はそれをアートと呼んだという話。便器自体、彼が作ったものでもなく、運んできてここぞと思う場所に配置してイニシャルを入れただけ、でもそれが彼にとってのアートだった、という。それは、現代芸術は(パトロンのためではなく)アーティスト自身のためのものだからアーティストがそうだと決めたものがアートだ、という現代芸術のひとつのキャラクターを端的に表した話だった。
その話をきっかけに、現代アートそのものがそれまで芸術を
空間をも巻き込んだ作品定義していたいくつかの要素とは違う根源から生まれていると認識したこと、 現代アートはそういう意味で他の芸術とはいくらか違う道を歩んでいるのかもしれない、だから見る目を変えないと楽しめないんじゃないかと思ったこと。そこが始まりだった。それからは現代アートへの見方が変わった。作品に説明や背景を求めるのをやめ「ただ感じてみよう」と。
今回の"ラ・セマナ・デル・アルテ"でも30件ほどのギャラリーを巡りたくさんのアートやアーティストとの出会いを重ね現代芸術が持つ世界にますます魅惑された。ひとつ視点を変える出会いをしたことでコンテンポラリーアートとのチューナーは調和を続けている。出会いを落としこめた、というのか……。