ヴェネト州ヴィチェンツァ県下にある小さな町、バッサーノ・デル・グラッパ。“バッサーノ山の麓”という町の名の由来のとおり、美しい山々、そしてその合間からは町の中心にかけてブレンタ川が流れ、さらにそこに架かる橋『アルピーニ橋Ponte degli Alpini』の独特の風景が特徴の小さな可愛らしい町である。
町の名からもわかるとおり、ここはブドウの蒸留酒であるグラッパが有名なのだが、春先に忘れてはならない有名な特産物、それがアスパラゴ・ビアンコasparago bianco(ホワイトアスパラガス)。期間限定の希少価値の高いものだ。
アスパラ料理の一皿
特にここバッサーノ産のそれはヴェネト州内で栽培されているホワイトアスパラの中でも、さらには、イタリア全土から見てもD.O.P(原産地名称保護)の認可を受けている点では知名度は非常に高い。いわゆる“ブランド”野菜なのだ。
したがって栽培法、場所、期間などの管理下におかれており、今年の解禁は3月19日のサン・ジュセッペの日(サン・ジュゼッペ=聖ヨセフはイエス・キリストの養父で、イタリアでは3月19日を「父の日」としても祝う)から。
この時期、地元のレストランは互いに提携し、町をあげてホワイトアスパラと地元のD.O.Cワイン(統制原産地呼称ワイン)であるヴェスパイオロVespaioloとを組み合わせた料理の提供をイベント化している。題して“バッサーノ産ホワイトアスパラを食す?アスパラとヴェスパイオーラ A Tavola con l’Asparago Bianco di Bassano- Asparago e Vespaiolo”。ただ今、旬まっ盛り。これは6月まで続く。
コンケのマーク入り太いホワイトアスパラ
そしてヴェネト州内ほかの地域でも、もちろん旬は最高潮。本格的な旬が訪れる4月後半から5月にかけ、生産各地においてアスパラの収穫祭が開催されている。
そのうちのひとつ、パドヴァとヴェネツィアの間にある、これまた小さな小さな町、コンケ・ディ・コデヴィーゴConche di Codevigoにて4月18日から5月3日の週末を中心に行なわれているアスパラ祭りを訪れてみた。
この地はその昔、ヴェネツィアのラグーナ、つまりは海だった場所である。したがってこの土地の畑の土は海の潮を含んでいる。農産物にはこれが非常にいい影響を与えており、野菜の味は濃く、独特の風味を持ち合わせるのだとか。ちなみに周辺の畑では、トウモロコシ、小麦、ラディッキオ、カルチョッフィをはじめ、ポモドーロなど、さまざまな野菜が栽培されている。
特設レストランは大盛況
周囲を畑に囲まれた非常に地味なこの町の、代表的な生産物であるホワイトアスパラの収穫祭である。週末には町の中心に建てられた特設レストランである大きなテントは、アスパラづくしの料理を味わいに訪れる人でいっぱい。
私が訪れた天気の良い祝日は、特設レストランは満席で、入口も長蛇の列。ということで、町中にあるトラットリアでアスパラをいただくことにした。
殺風景な飾り気もない食堂的な雰囲気の店内だが、テーブルに出されたアスパラのなんと立派なこと。
太くて柔らかく甘みがたっぷり。とてもジューシーなそのホワイトアスパラはパン粉の衣をつけて揚げたものと、茹でて卵が添えられたもの。
茹でアスパラと茹で卵
アスパラの美味しさはその新鮮さにも起因する。ここで調理されたアスパラは当日の朝収穫されたものである。申し分のない太さとそこに含まれる甘くてジューシーな水分、そしてその柔らかさ。特に甘みのある穂先の独特の風味はなんともいえずに格別。これほどのアスパラは今まで食べたことがないだろうと確信するほどの美味しさである。他のテーブルを見ても申し合わせたように、皆が同じものを食べている。
さて、ここでの王道といえる皿は、大変シンプルな“茹でアスパラ“。茹でたアスパラの脇に殻をむいただけの茹で卵がゴロンと添えられている。これを料理と呼んでいいかどうかは疑問だが、素材あっての一皿だろう。
食べ方としては、茹で卵にオリーヴオイルを少しずつ加えながらフォークでつぶしてよく混ぜ合わせる。ここに塩、コショウをして味つけし、これをソースとしてアスパラをいただくというスタイルだ。すべては各自が皿の上でこの作業を行なう。素材のシンプルな美味しさのみに頼る、というところである。
盛り上がる自転車レース
このアスパラ祭りは町をあげてのイベントである。小さな田舎町で、自然に恵まれた環境の良い場所ということもあり、自転車の愛好家には絶好のサイクリングコースともなっており、自転車レースもこの祭りに花を添える。さらには町の拠点となるいくつかのレストランを自転車で回り、アンティパストからドルチェまでを食べ歩く(走る?)という企画も計画されている。
旬が大変短いホワイトアスパラ。また来春も、同じようにこの美味しいアスパラを食すことができることを願いたい。