「つわ」母の味、ふるさとの春の味わい


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緑が美しい春のつわの葉。
秋には小菊のような黄色の花も可憐

春の兆しが感じられるようになると、鹿児島のスーパーや市場の店先には「つわ」が並び始めます。全国的には「つわぶき」といえば通じやすいでしょうか。

私が子ども時代の春、つわはどこからともなく家へやってきて常にそこにあるものでした。それらは親戚や近所の人が摘んできたお裾分けだったり、家族で摘み取ってきたものだったり。主に我が家が出かけていた鹿児島の南西端・坊津へは自宅から車で1時間ほど、日曜日におにぎりと簡単なおかずの弁当を持って出かけ、つわが群生していそうな場所を見つけて山へと入ります。抱えるほどつわを摘んだ後は弁当を食べ、岩がゴロゴロしている海岸で少し遊んで帰れば、田舎の子どもにとっては立派なレジャーでした。


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スーパーで売っている「むきつわ」。
10本ほど入って150円ほど

ただ、楽しい時間はここまでで、その夜は摘み取ったつわを剥かされるのです。葉をもぎり薄い茶色の皮を下から上へとゆっくりとむいていきます。この時皮からにじみ出る汁が指先を焦げ茶色に染めてしまい、石けんで洗ってもなかなか落ちません。爪まで茶色に染まった指で翌朝学校に行くのが子ども心にも恥ずかしいものでした。

つわを食べるにはまず下茹でをしてから調理します。一般的な料理法は煮付けに入れたり、佃煮にしたりでしょうが、我が家では豚肉やつけ揚げ、ニンジンなどと甘辛く炒めるのが常で、時には卵とじにすることも。


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母流つわの炒め。容器は友人の陶芸家が
つくった「つわの葉の形をした皿」

今は亡き母が作るつわの炒めは、砂糖が多い上に水っぽく、茹で過ぎ&炒め過ぎて柔らかくなったつわがフニャフニャとして、子どもの味覚には「ありえない」料理でした。それでもほかにおかずはなく、なにより空腹には勝てないものだから、半泣きしながら食べたこともありました。
現在では、旬の味覚をダイレクトに収穫して食べられることは贅沢極まりないことなのに、当時の私は「今夜もつわの炒め?」と毎食のように出てくるのにげんなりしていたものでした。

そんな私も当時の母の年齢に近付くにつれ、つわも好物とまではいかないけれど春になれば食べたい食材に挙げられるようになりました。しかも今では指先を茶色に染めることなくつわが食べられるのです。スーパーに行けば丁寧に皮をむかれた「むきつわ」なるものも売られているし、居酒屋でもつわ料理は食べられます。

そこで久しぶりにむきつわを買い、母が作っていたような炒め物を、記憶をたどって作ってみました。いざ、完成品を食べてみると、記憶の中の味にはほど遠く、つわも少し太めのところは堅さが残って、イマイチな味。決して料理上手な母ではありませんでしたが、擦り込まれた味覚の記憶とは恐ろしいもの。やはり母には敵わないなと思わされた、春の味わいなのでした。