「山岳小説」とくくられるのを著者は必ずしもよしとはしていなかったというが、「山岳小説」と呼ぶに最も相応しい作品群を遺した作家は他にないのではないか、と思えてならない。さすれば本作はぜひとも「山岳ミステリー」と賞賛したい。
山が凶器と化す!もちろん、そうさせるのは「人間」。実にけしからん。とはいえ、山屋を過剰に美化して「善人」と思い込むのは、あまりといえば単純ミスには違いない。地上で繰り広げられる愛憎はどこへでも持ち込まれるのだ。
高みもあれば地獄の谷底もある山々のありよう、天候を頼りの命がけの山行。それらディテールが鮮やかであればあるほど、ひとたび人間が悪意を抱けば山はまた下手な刃物よりシャープな凶器がいたるところに仕込まれた舞台となる。
山の山たるを余すところなく描き、そこに人の内なる闇を広げてみせる。著者にして初めてなった「山岳ミステリー」が存分に楽しめようというもの。
ひとたび荒れ狂えば恐ろしい山。よりも人間はさらに恐ろしい。
作者名:新田 次郎
ジャンル:山岳ミステリー
出版:新潮文庫