アルゼンチンでのお父さんと呼んでいたペドロ出会いがあれば別れがある、それは世の常で、だから別れを嘆くよりも出会えたことに感謝したい、ってそんなことは頭ではわかっているのです。それでも悲しい。どうしても悲しさはぬぐえない。それが永遠の別れであればなおさら。
11月のとある日、我が家にとても悲しい知らせが届きました。“Mi Padre Argentina(アルゼンチンでの私の父)”と呼んでいたほど自分にとっては大きな存在で、人生の大先輩でもあり、友人であるペドロが他界したとの知らせが入ったのです。
ペドロは私がオフィスを借りていた建物の管理人。とにかく勉強好き。とにかく努力家。とにかく好奇心旺盛。郊外に所有する土地で飼っているヤギの世話を他の人に任せ、自身は毎日5紙の新聞に目を通す博学ぶり。
最後に会ったそのとき――
一期一会を噛み締めましたローカル雑誌の編集をしたり、週末にはヤギの乳でチーズ作りをして販売するなど、本当に多技に通じる人でした。そしてその多才さは勤勉と勤労の賜物であり、人間の未知数を努力の継続で確信に変えていく、それがペドロという人でした。
なんとなく思い立ってある場所にいったら、結果として、それが一生心に残るような日になったという、何に導かれてかはわからないが、後から思うと、“運命に導かれたかのよう”に、ある場所にいき、その「たまたま」のおかげで、一生忘れられないお別れができた、そんな経験が誰にでもあるかもしれません。
それは私も同じで、10月のとある金曜日、すでに昨年オフィスを引き払っていて、しばらくペドロの顔を見ていなかったながら、「事務所に残したままになっている荷物を取りにいこう」いきなりそんなことを思い立って数カ月ぶりにオフィスへと顔をだしました。後からその思いつきにどれだけ感謝したか……。 そのとき「気分がよくないから、この後病院へ行くよ」と言っていたペドロ。
相田みつをさんの言葉を噛み締めました。
ペドロとの出会いに感謝しながら週が明けた月曜日に手術があり、手術は成功したものの意識が戻らず、彼はそのまま天国へ行ってしまいました。思えばたまたま思い立ってオフィスに行ったあの金曜日はペドロの意識があった最後の最後のとき。その最後の最後に会えた。誰かがすべてをわかってあの日、私をオフィスへと導いてくれた気がしてしまうのです。何かに導かれたような偶然であり、必然でした。
別れがこんなにも心を締め付けるならば、出会わなければよかったか。それは違うと思いたい。本当に別れは悲しい。涙が止まらない。もうオフィスの管理人室でペドロと笑って話しをする日が来ないと思うと心がチクチクと痛んでしまう。悲しみは存在する、どうしたって。それでも、それほど琴線を通わせた人と出会えたことへの感謝の方が大きい、確実に。出会いの酷な面もわかってはいるけれど、それでも出会えたことへの感謝が止まりません。