ドイツの桜は日本より遅咲きで、そしてやや存在感が薄めです。桜の木が日本のものに比べて細く小さめで、桜の花もなんとなくひっそり咲いているのです。同じ品種を植えても気候風土が違うとこうも異なるものか、と実感させられます。
さてそんなドイツの桜のなかで、ちょっと突出した存在感の桜並木がベルリン郊外にあります。かつて30年近く東西ドイツを隔てて「ベルリンの壁」が立っていた跡に、1990年に植えられた1400本の桜の木がそれです。
有名なチャーリー検問所の近く
に残っている「ベルリンの壁」
これは「壁」が崩壊した直後に、日本のテレビ朝日が呼びかけて寄付を集め、 日本から送られた桜なのだとか。8年前からはドイツでは珍しい「お花見フェスティバル」も行なわれるようになりました。春になると野原の中の1本道がピンク色に彩られたのどかな風景からは、かつてそこが東西冷戦の最前線だったことを想像するのは難しい――そんな景色となります。
今年は、「ベルリンの壁」崩壊から20周年にあたり、ベルリンの多くの友人・知人が「え、もう20年経ったの?」と驚きを示します。実は私もそのひとりです。
ポツダム広場にも「壁」の跡を
見ることができます
私は「ベルリンの壁」が開いた翌年、ドイツ統一の年である90年から1年間、東ベルリンで暮らしました。
当時、世界中がこの信じられない事件に驚き、ベルリンに注目していたときのこと。しかしそこには、西ドイツに飲み込まれるように「ドイツ統一」が行なわれ、誇りとアイデンティティを傷つけられた東ドイツ人の姿がありました。
それから20年、だれしもが当時のことをもう少し客観的に振り返ることができるようになったのかな、と思います。インターネットの普及に象徴されるグローバル化により、世界全体が急激な変化を遂げたこの20年間。そんな中では、逆に「今も変わらないもの」を探したくなってしまうものです。
東ベルリンの町中を歩いていると、やたらと目につくのが簡易ソーセージ屋台です。パンに挟んでマスタードをつけるだけの極めてシンプルな焼きソーセージは、私がベルリンに来たばかりのとき「壁」跡で初めて食べたものでした。なんの工夫もひねりもないけど、今もファストフードの王道として健在なのですね。
これを食べると、たとえ明日世界がひっくり返るような事件が起ったとしても、生きて行けるような気持ちになるのです。
駅弁売りのようにお手軽なソーセージ屋台
これがドイツ人の原点ともいえる
ファストフード「焼きソーセージ」