日本は桜のつぼみがふくらんできた3月のお彼岸ごろ、シンガポールへ旅に出てみた。アジアは各地行ったことがあるのに、なぜかシンガポールにはまだ行ったことがなかった。
早朝にシンガポールへ到着したフライトだったので、着いたらさっそく行動開始。その日の昼すぎにはチャイナタウンにいた。日本を出発する前から、あるガイドブックに載っているお茶屋に行くことを決めていたのだ。そのお茶屋のページは全面カラー写真で、「老叢水仙」、「水亀金」など日本ではなかなか買えない武夷岩茶が載っていた。中華圏ではどこに行ってもお茶の買い物が楽しみな私としてはシンガポールでもお茶が買えると楽しみにしていたのだ。
シンガポールの夕暮れ店内に入ると豊富な茶器とともに、円盤のように固められた「餅茶」と呼ばれるプーアール茶が左手入り口から店の奥までズラリと並んでいる。しかも自然熟成で長期間寝かせて味の変化を楽しむ生茶も多くある。これから「育てていく」昨年つくられたばかりのお値ごろなものから、80年代の何万円もするプーアール茶の「有名ブランド」もあり、さすがにお金の香りがするシンガポールと感服しながら物色する。
店主の女性に、「まあ、座って一杯飲んでから」と声をかけられて試飲させてもらうことになった。私の横には先客がおり、聞くと台湾からこのお店に定期的にお茶を買いに来ているという。台湾は高山茶や凍頂烏龍茶、東方美人など美味しいお茶の産地ではあるが、彼女は大陸でつくられているプーアール茶を買いにわざわざシンガポールまで来ているのだ。結局総額数十万円もプーアール茶の散茶(固められていないお茶)をお買い上げ! やはりお金のにおいがする華人の地にはそれなりのプーアール茶があるのだ。
買ったお茶の一部お茶屋では客は何種類も試飲しながらお茶の話や世間話をしつつ、1、2時間ほどかけてゆっくり買うお茶を決めていく。店主から「この店はどうして知っていたの?」と聞かれた。私はカバンからガイドブックを出し、店の掲載ページを見せると、「この写真私! 1ページ全面に掲載されてるよ!」と日本語はわからなくともページをめくり始めた。実は数カ月前にもお店に同じ本を持ってきた日本人客が来たが、その時はよく本の中まで見せてもらわなかったらしい。店主も若い女性従業員も接客そっちのけで興奮していたら、ひとりの老人が店に入ってきた。どうやら店主たちと知り合いらしい。店主に勧められてガイドブックを手に取ると、やはり喜んだ様子で、「この本を分けてもらえば」と言っている。「そんな! 今日シンガポールに着いたばかりなのに、ガイドブック無しで過ごせなんてムリ」と私は拒否。でも、時間があれば旅行最後の日にもう一度お店に寄ってガイドブックを置いて行くことに話しがついた。爺さんは「時間があればなんて、本当に来るかどうかわからないから、紙に一筆書いてもらえ」と店主を煽っている。一筆書いたところでも私の気が向かなければ行かないだけだが、せっかくの旅行中にプレッシャーを背負うことはしたくないので、聞こえないふりして軽くスルーしてしまった。
旅行最終日の昼下がり、私は約束通りまたそのお茶屋へまた来た。店主は私がまた来るとは期待していなかったらしく、ガイドブックを渡すと飛び上がるほど喜んだ。私にお礼としてお茶をあげるという。選んだのは鳳凰単叢という広東省の烏龍茶。やはり日本ではあまり買えないお茶なので、私にとっても嬉しい物々交換となった。派手な高層ビルと世界から富裕層が集まるセレブな香りのする街で、人間臭いお茶の縁をおみやげにできた旅だった。
鳳凰単叢のティータイム