由比ヶ浜に思う「鳩サブレーのおいしい食べ方」

201307_banner.jpg座ったままの姿でゆうに11mを超え、目や口もおよそ1mというビッグサイズ。と、こうして数字で書くよりも目の前で見る鎌倉は長谷、高徳院の大仏様ははるかに大きかった!!!
ふと見ると、お供え物の中に大きなスイカが丸々ひとつ。夏らしい、気の利いたお供え物に大仏様もきっと喜んでいたはずです。

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大迫力に圧倒される大仏様ですが、
やさしいお顔のせいかしばらく眺めているとその大きさにも慣れてきました
さて、高徳院からお土産屋さんをひやかしながら10分ほど歩いて、江ノ電長谷駅の線路を越えると「お〜、夏の香り!」。潮風が漂ってくる先には、由比ガ浜の海岸が広がっていました。

この由比ガ浜、じつは日本の海水浴発祥の地のひとつ。明治17年に"日本近代医学の祖"といわれる長与専斎先生が「海水浴場に最適の場所」として鎌倉の海岸を紹介したのがきっかけで、偶然にもムコ殿が鎌倉に行った日こそ「鎌倉市海水浴場開設130周年」の記念日だったのです。
午前中には30度をあっさり超えたこの日も、たくさんのビーチパラソルが海岸をにぎやかせていました。

ちなみにこの長与専斎という人は、幕末に大坂で緒方洪庵が開いた蘭学塾・適塾の門下生。適塾といえば、福澤諭吉や大村益次郎など、新時代を担った数多の知識人を輩出した名門ですから、なんにでも意外な歴史があるものですねえ。

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鎌倉期の歴史に何度も登場する由比ガ浜。
悲運の将軍といわれる第3代の源実朝が遠く宋の国をめざして造らせた大船が進水式に失敗した話を思い出します
そして、鎌倉に海水浴客が集まり始めた明治の中頃に産声をあげたのが、鎌倉土産の定番、ムコ殿が愛する豊島屋さんの鳩サブレーなんです。

豊島屋さんのホームページによると、店を開いて間もない明治30年ころ、外国人の客が店に置いていったビスケットからヒントを得て、鶴岡八幡宮の境内で群れをなす鳩をモチーフに、試行錯誤して生まれたのが鳩サブレーだったとか。

当時は海水浴自体が最新カルチャーだったのですから、そんな新し物好きの海水浴客たちはハイカラなお菓子に飛びついたのは推して知るべし。
そこでムコ殿も狙っていました。本場で鎌倉銘菓を食べるならこの場所しかない! 由比ガ浜の浜辺に着くと、大仏様の近くにもあった豊島屋さんで買った鳩サブレーを満を持して取り出し、パクり。頭からいただきました。

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香ばしい焼き色と愛らしい形、完璧です!
本店でしか手に入らない鳩サブレーグッズの数々も見逃せません
あ、こうして頭から食べるのは鳩サブレーをいただくときのマイルール。鳩らしさを残したまま尻尾から食べていくよりは、少しは罪悪感も薄れるというものです……。

100年以上もの時を越えて愛されてきた鎌倉の海とスイーツ。由比ガ浜の波音を聴きながらいただく鎌倉銘菓の味は格別でした〜。