先週末は男子ゴルフの世界4大メジャー大会、「全米オープン」が行なわれた。タイガー・ウッズや、フィル・ミケルソンといったアメリカツアー勢、そして日本からはおなじみ石川遼や池田勇太などが参戦し、“アメリカの魂”とも呼ばれる「ペブルビーチ・ゴルフリンクス」で覇を競った。時差の関係上、日本では早朝の生放送となるが、今年は最終日まで石川遼が好位置をキープしただけに、ゴルフファンでなくても目にした人は多いのではないだろうか。
最終日、65のエージ・シュートで
日本シニアオープン優勝(07年)。
すごすぎる男・青木功
さて、この全米オープン、日本人の男子ゴルファーがいちばん世界に近づいた大会である。先週も含めて、4大メジャーで日本人男子の優勝はいまだない。1980年、バルタスロールゴルフクラブで行なわれた全米オープンでの2位が日本人最高位で、その選手とは全米オープンで解説を勤めていた青木功である(ちなみに女子は77年に樋口久子が全米女子プロゴルフ選手権を優勝。シニアでは02年の全英シニアオープンにて須貝昇が優勝している※全英シニアは当時、非メジャー扱い)。
当時、“帝王”と呼ばれたジャック・ニクラウスと4日間同じ組でラウンドし、最終日の残り9ホールは2打差に膠着したまま。最終的にニクラウスが優勝、青木が悔しくも2位となったこの大会は、いまも「バルタスロールの死闘」として世界中に語り継がれている。
青木功がゴルフ界に残してきたさまざまな偉業には、日本人男子初のアメリカツアー優勝となった83年の「ハワイアン・オープン」最終日18番ホールでの逆転チップイン・イーグル、さらに80年「全英オープン」の大会初日には大会史上最小スコアとなる63をマーク。この63のスコアは全139回の全英オープンで現在も大会最小スコアタイ記録であり、会場だったミュアフィールドのクラブハウスには、そのときのスコアカードが誇らしげに展示されている。
まだまだある。自分の年齢以下のスコアでラウンドする“エージ・シュート”(つまり、60歳以上まで年齢を重ねないとほぼ達成できない)をプロ競技中に3回達成(達成した3大会中、うち2大会で優勝)、日本人男子としては初の世界ゴルフ殿堂入り(04年。日本人初は03年の樋口で、05年には岡本綾子も殿堂入りしている)、08年には紫綬褒章受章……挙げていけばきりがないほどだ。
最近おなじみ、べらんめえ調の明るい解説も楽しいが、たとえシニアの大会であっても夢の世界メジャー制覇を達成してほしい(思えば2位に終わった01年の全米プロシニア、最終日のバックナインをトップで折り返したときが最大のチャンスだったのだが……)――68歳が目前の青木だが、いまもそう信じているファンは数多い。