長期予報によると「残暑はしばらく厳しい」という様子だが、暦の上ではもうまもなく秋がやってくる。今年も数々の夏の想い出が人それぞれ作られたことだろうが、作り損ねた向きには明日(8月27日)に行われる「第34回隅田川花火大会」などいかがだろうか。江戸時代からの伝統を誇る隅田川の花火大会は、今年も2万発の花火が打ち上げられる。風流な現場には行けなくとも、テレビ東京系(首都圏以外の放送はご確認ください)では生中継も行なわれる予定。スイカやビール片手に行く夏を惜しみたいものだ。
さて、今回はそんな「隅田川の花火大会」にまつわるおはなし。
最近では耳にする機会は少ないが、花火が打ち上がった際のかけ声に「たまやーっ、かぎやーっ」というものがある。これは「玉屋」と「鍵屋」という花火屋の名前から来ている。
たまやーっ!
こちら新潟県長岡市の花火大会より。
かぎやーっ!その歴史は古く、大和国(奈良県)出身の弥兵衛という人物が花火で身を立てようと江戸に向かい、日本橋横山町で「鍵屋弥兵衛」として花火を売り出したのが万治2年(1659年)のこと。すぐに将軍家の御用達業者にまで成長した鍵屋は、以来世襲で「鍵屋弥兵衛」を代々で襲名、6代弥兵衛の時代に両国(隅田川)の川開き花火を担当することになる。
その後、文化7年(1810年)、鍵屋の番頭・清一(独立後は市郎兵衛)が独立、鍵屋の守護神である「鍵屋稲荷」がその手に鍵と玉(擬宝珠)を持っていたことから、「玉屋」を屋号とした。そして川開き花火を上流が玉屋、下流を鍵屋が請け負うことになるのだが、見物人の人気は玉屋のほうが上だったようで、「たまやーっ」の掛け声ばかりに「橋の上、玉屋玉屋の声ばかりなぜに鍵屋といわぬ情けなし」という川柳が残されていたりする。
ところがこの玉屋、天保14年(1843年)4月17日に当時の江戸では重罪の失火からの火事を起こしてしまう。これが原因で玉屋は江戸処払い(追放)となり、わずか一代32年にて江戸での歴史を終えてしまうのだが、江戸の庶民は以後の川開き花火でも鍵屋だけでなく玉屋の名前も一緒に「たまやーっ、かぎやーっ」と声を掛けることで、玉屋のことを懐かしんだのだった。
ちなみに、鍵屋は12代鍵屋弥兵衛が世襲ではない天野道夫氏に昭和40年代に暖簾を譲って以後、「宗家花火鍵屋」として現在も営業、天野安喜子氏が15代鍵屋を襲名している(現在の隅田川花火大会では鍵屋は打ち上げを行なっていないそうです)。また、玉屋も玉屋市郎兵衛の直系でこそないが、現在八千代市にある「元祖玉屋」がその暖簾を守っている。