氷河の端から上へ上がったとたん、最悪状態に突入した。
そこそこしっかりした雪面なのだが、足が上がらない。急斜面で踏ん張って歩を進めることができない。
「とにかく立って!そしたら引っ張るから!!」
ショートロープしている本郷さんがグイグイ、ロープを引いてくれるんだが、恐ろしく身体の動きが鈍くなってしまっていて、引かれても進めないどころか、そのまま雪の中にバタンと倒れこんで顔から雪に埋もれてしまう有様。そこからもう、懇親の力を振り絞らないと起き上がれない。空恐ろしい体力を使う。
息ができない!!!とにかく吐いて、と焦るんだが、吐いても出て行かない。吸っても入ってこない。
気がついたら、酸素マスクをかけていた。どこにいて何をしているんだか、解らなくなっていた。
顔をわしづかみにされて左右に振られているようだった。本郷さんが何度も「ダイジョーブ?」と聞いている声が聞こえた。
シュポーン、シュポーン…
吸って吐いての酸素ボンベの繰り返し音がだんだんはっきり聞こえるようになり、混濁した意識が戻ってくる。
「楽になった?」
「はい、楽になりました」
クの字型のアルミ柱を雪面に打ちこんで、
アルミ柱の上部穴に通した白ロープのループを雪面にフィックスする。
赤はショートロープ用
「変な声上げるから、サーダーが酸素持ってきちゃったじゃない」
本郷さんは言うが、ワタシには「必死で息をしようとした」という覚えよりない。よっぽどおかしかったんだろうと今になって思う。斜度がきつくなってきてサーダーが雪面にフィックスを設置する。日本でユマールの練習をしたのなんか試す段にもならず、あとから聞けば本郷さんはショートロープで3人を引き、ユマーリングしたんだとか。本郷さんもサーダーも雪兎みたい。雪面を飛んで走っている。
ワタシはというと…
すっかりグロッキー。酸素ボンベをつけて呼吸ができるようになったからといって、ラクチンに登れるようになるわけではなく、一歩一歩がメチャメチャ難儀。
「なんだ、降りるか?」
「いえ、行きますッ!」
「じゃ、ちゃんと歩いて!!」
のようなやりとりを何度もしつつ、ようやく歩く。
「ここは早く歩いて!」
下がクレパスだとわかる小さなひび割れのよいうな雪の隙間も、本郷さんは見過ごさない。「早く」が「早く」になってたんだか、どうだか。もう雪稜線に出てショートロープを解いたときにはフラフラのヨレヨレ。
本郷さんはとっととサミットを目指し見えなくなった。一足ずつ崩れ落ちそうになる脇をサーダーにグイと引き上げてもらいつつ、ようやく雪稜線の端にたどり着いた。
雪稜の先はガレ場、かなり急な斜面。一足踏み込もうとするとガラガラ足元が動く。滑り落ちたくはないし、大きい岩を落としてもいけない。イヤな緊張。
絶え間なく耳に届く「シュポーン、シュポーン」もイラッとする。なしにはいられないとはわかっていても、酸素マスクを外してほおり捨てたい衝動に駆られる。
ガレ場の先は短くはあるが、ツルツルなスラブ岩盤。
「ここ上がったら頂上よ」
岩の上でビレーしている本郷さん。
クライミングとしてはできる範囲とは見て取れるんだが、取り付いてみるとできない。踏ん張ろうとするととたんに呼吸がとんでもなく辛くなる。セルフをとり、岩面を駆け回るようにそばまで降りてきて、オンチュがユマールをセットしてくれる。やっぱり練習しておいてよかった。
最後のひとしごきで壁を抜けた。
えッ?登頂!?マジ?
なんだかポカンとした。壁を乗り越すのに息が上がっていた。耳元でやたらに「シュポーン、シュポーン」がわずらわしかった。
サミットのスペースはごく狭くて、上がった順に奥に詰めて5人が上がったらイッパイ。すれ違うこともできない。
酸素マスクを外してもらい周りを見渡した。登ってきたのと反対方向は、切れ落ちた谷底に氷河が広がり、その谷の向こうは幾重にも雪峰が連なっている。
「あれ、シシャパンマだって」
本郷さんが指差す先にひと際、美しい山容の白峰が天を指して、すっきりと屹立している。
ヒマラヤ山塊に18峰ある8000m峰のうち唯一完全に中国・チベット側に存在するのがシシャパンマ8027mで、シシャパンマとはチベット語で「牛も羊も死に絶えて、麦も枯れる地方」の意だという。
ネパールの山ヤラピーク5520mに立ち、こうして見下ろしている谷を挟んで向こう側はもう、チベット。目の前には8000m峰。まさしくヒマラヤの真っ只中に立っていたのだった。
その背筋が震えるような状況をはっきり感じられたのはむしろ、下山を終えてキャンプにたどり着き、先に到着した本郷さんの顔を見た時だったかもしれない。
早朝3時から登頂までおよそ7時間の行程が私にとってあまりにも過酷だった。下山6時間も耐え難いものだった。一度、高濃度酸素を摂取すると全ての工程を終えるまでそれなしでは行動できなかった。よっぽどキャンプに近づいた地点でも、外すと途端に息苦しくて1歩も前に行けなくなった。絶えず耳元で聴こえる「シュポーン、シュポーン」で脳ミソがパンクしそうだった。
全ての工程を歩き終え酸素マスクを外して、本郷さんの顔を見たら、もうダメだった。安堵感で緩んだ涙腺が、それでも後からヒタヒタと打ち寄せる達成感で全開して、当分の間大泣きした。
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