11月3日:登頂前夜
標高4750mのベースキャンプ、ヤラカルカYalaKharka。
夕方になってメンバーがダイニングテントに集う。どこか皆、口数も少ない。
「明日は何が何でも登らなくちゃ」
とポツンと言ったKさんを
「そんなふうに思わない方がいいですよ。リラックスして自然体でいきましょう」
と本郷さんがなだめる。
多かれ少なかれ高度による体調変化は誰もが感じていることだろう。標高が上がっていってもSPO2が96ぐらいから変わらない脅威の本郷さんでさえ顔が少し腫れぼったい。ワタシに至っては、SPO2は70台に前半に陥落し、夕方になっても頭痛はおさまらず、顔も体もむくみが出てパンパンしている。登頂前夜の緊張があることも否めない。しかしそればかりではない。昨夜とは明らかに違う雰囲気。何かが足りない…
それもそのはず、ずっと一緒だったメンバーが一人少ないのだ。
朝8時過ぎにThikyapsaKharkaティキャプサカルカ4440mを出てヤラカルカへ向け小1時間も行った辺りだろうか、休憩時間にメンバーの一人Mさんのバイタルを採った本郷さんが続行不可能状態と判断し、結果をMさんに伝えた。
SPO2が低値はもとより、脈拍数が200を超えていた。もう「頑張る」というような感情論の域を明らかに超えていた。Mさんはそこから3840mのキャンジュンゴンパへ引き返していった。
ヤラカルカに着いて高度順応のために散歩した。山並みがいよいよ目の高さに広がって見える。ここにこうしていることが、ますます信じられない気がする。いつもは遥かに健脚のMさんが高度順化が上手くいかず、撤退を余儀なくされる。早く歩けず、常にメンバーについていけないノロマなカメのワタシが、なんとかまだ居座っていられるんである。
「迷惑かけてごめんね。コダマさんは頑張ってきてね」
Mさんの唇が、肩が、かすかに震えていた。思わずその肩を抱いて一緒に泣いてしまった。
何日もかけてやっと明日は登頂という段になって、BC入り手前で断念しなければならない心中は察するに余りある。
ほんの1ヶ月ほど前、前日にテストに落とされて、マッターホルン登頂トライさえできなかった時はわが身の実力のなさも棚に上げ、なんだか誰かまわず当たり散らかしたいぐらい腹が立った。あの悔しさを思えば、歳こそ三つばかりお姉さまだが、普段は数段強いMさんなのだ。どれくらい無念だったろう。
「ボクも一緒に降りるよ」
と言ったKさん。
「ううん、行ってきて。アタシの分まで楽しんできて」
とMさん。KさんとMさんはご夫妻。今までも大概の山行はいつもご一緒だったのだ。もう、山の神様の気まぐれな悪ふざけか?とさえ思ってしまう。
泣きながら肩を抱き合うお2人を、さらに抱いて一緒に泣いてしまった。とんだお邪魔虫とは知りつつ。
だからこそ、つい口から出たKさんの「何が何でも」だったのであり、その心中を知ればこその本郷さんの「自然体で」だったのだ。
そして登頂を願う思いは「できても、できなくても」だったのが、いつの間にか私の中でも変貌していた。ほんの何かの間違いのようにここにいるのだとしたら、「幸運」の女神よ、明日もまた微笑みたまえと…
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