6月20日・退院の翌日の6月21日、湯治にでかけた。友人が2泊はつき合ってくれるとは承知していたが、嬉しいことにもう一人1泊だけだが同行者があった。
入院中に倒れ急逝した友の娘。倒れたことを知らせてくれ、その後の経過を逐一メールしてくれたのだった。
6月22日に友の娘が、6月23日の午前中に友人が帰ってしまうととたんに腑が抜けた。
1日のうち、ほんの少しの時間原稿書きする以外、何もする気がしない。
自主トレのためのチューブも持ってはきたが、とても手が出ない。だるい。
湯治にきたのだから、せっせと風呂に浸かろうと思うのだが、それもなかなか。
薬草湯に浸かって、次はジャグジーにと湯船からでようとするとユラリと体が揺れる。めまいがする。しばらく、その辺に座っていないと次の行動ができない。極度の低体温、低血圧。1ヶ月の「とにかく安静に」生活で得た副作用だ。
ドクターの「よっぽどひどく転んだりしない限り大丈夫です」が耳にこびりついていて、必要以上に臆病になっていたりするのだろう。露天の岩風呂に入るにも、適当に脇から身体を滑り込ませることなど論外で、ちゃんと段々がついていて、手すり沿いでないと不安になる。
退院間際の元気はどこへやら。つまり病院は「元気な患者さん」で出てはきたが、いったん外に出ると「頼りない病み上がり」だと思い知る。
なんとか30分ほど温泉療法して部屋に戻ると、ぐったり疲れて眠りこけてしまう。当然、妙な時間に睡眠をとるものだから、眠るべき時間に眠れない。
横になってipodを聞きながら、なんとか睡魔が訪れるのをもんもんと待つ。これじゃ病院生活とちっとも変わらない。
2足歩行を始めてから人間というもの、その行動体系に基づいて進化してきたわけで、こう横になってばかりいると、返って寝疲れて脳みそがおかしくなるらしい。蝶骨だの骨格だの筋肉だの、きちっとまとまって機能するはずが、ちんちばらばらになって始末がつかなくなるかして、蝶骨の周りの筋肉?が痛いし、膝の後ろや足首の筋?が妙に突っ張って、猛烈に倦怠。あまりにもの体調の悪さに憂鬱になる。
こんなんでもとの身体にもどるんだろうか?筋トレ再開して山に行けるようになれるのだろうか?またクライミングできるようになるだろうか?来年のモンブランどうなるんだろう?
考え始めるとipodも無力。暗澹とした気持ちで闇に目を見張ってしまう。しまいにヤケになって「眠れなきゃ、寝なきゃいいやッ」と起きだして…ってな悪循環。
食事にもてこずった。
食欲がないなど生易しいものではなく、食いもんに対する意欲とか熱意とか興味とかをさっぱり失くしてしまったようなのだ。
メニューを見てはため息が出る。好き嫌い構わず、食欲のあるなしなどお構いなしに決まった時間にぴっちり出てくる病院ご飯からようやく解放されたというのに、選ぶというチャンネルが壊れてしまった。ただメンドクセ、それだけ。
なんとか無理やり注文してもちゃんと味わえない。旨いとかまずいとかは感じられず、塩味にしか反応しない。病院ではあんなに「醤油くれい」「ソース追加!」と塩分を熱望したのに、何もかもが塩っぱくて嫌気がさす。入浴後のビールが旨いと思えるのが唯一、救い。
それでも湯治とは言ったもので、日にちが経つうちに気がつけば手すりのないところから湯船に滑り込み、目まいもしなくなり、だんだんに1回の入浴時間が増し、1日の入浴回数が増えていく。
27日は心して朝のモーニング・バイキングに間に合うように起きた。1日の入浴・食事・休養・睡眠配分をスケジュールして、翌日の帰宅に支障のないよう心がけた。
やればできるんじゃん!やればそんなもん。
人間、朝起きてもスケジュールがない状態は「たまに」だから有り難いんで、それがデフォは相当、ウンザリする。生気を失うんである。
28日、駅に向かうシャトルバスからブドウ畑とモモ畑が見えた。袋がけしてないブドウはまだ青かったがつやつやと実っている。モモは枝が折れそうにたわわ。
1週間もブドウ畑とモモ畑のただ中にいたのに、1度だって散歩してみようという気も起きなかった。やっぱり「拘禁反応」だったんだ。
返す返すも残念。
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