6月10日
前日の通夜では友の顔を見ることがかなわなかった。
「始まる前に来てください」どうしても顔がみたいという私に友の娘はそう言ってくれた。
だから、告別式の開始時間より30分以上前に斎場に着いた。
友は白い棺に横たわっていた。静かな顔をして。
やっぱり泣いてしまう。
祭壇の友の遺影はにこにこ笑っている。
「あの写真ね、『山』で撮った写真なの。いい顔してるでしょ」
そういえば友はちょくちょく近くの里山を歩いていると話していた。
「倒れた日も『山』へ行ってきて。楽しみにしてたから。その後だったんです…」
27日は友は仕事が休みで予定していた里山にでかけた。帰ってきて友人とメールのやり取りをしている。
「何時ごろまで病院にいるの?」
「あら、もう帰ってきちゃった」
「なーんだ。じゃまた今度」
友はその日、友人が私の顔を見に病院に来ることを知っていて、まだ間に合うようなら合流しようと思っていたに違いない。その後、夕食の支度にかかるかという段になって倒れたのだ。
頭をなで、薄化粧をした頬をさすった。
「ねええ、こんなに美人だっけ?」
「そうなの、きれいでしょ」
友人と友の娘と笑いあった。
ただ…
手に触れた友の額や頬は、もはや体温を伝えてはこなかった。とてつもなく悲しいその感触は、しかしながら「また来るね」「お茶持ってくから」の約束が決して果たされぬということを伝えていた。それがまた悲しくて涙がこぼれた。
式の準備ということで一旦全員がロビーに出た。
何とはなしに眺める向こうに子どもが数人ちょろちょろしている。赤ん坊を抱いている若い女性には見覚えがある。もう小学生らしい男の子のかたわらに座る男性は友の長男だ。もう一組の若い夫婦と子どもらは友の次女の家族。やはり小さい子どもが2人。
「なんだか、イイコしてるね」
「子どもって、よくはわからなくても、どことなく感じるのよね」
子どもらの面立ちを定かに記憶しているわけではないが、初めての気もしない。
「だっていつも写真持ち歩いてたし。見せてもらったじゃない」
「そっか、それでだ」
「ああやって、命は受け継がれていくのね~間違いなく」
友が去って3週間になる。
その間に私は退院して、続きで湯治に出かけた。部屋の窓から小ぶりな里山を眺める度に友を想った。
たった1度でいいから、一緒に里山歩きするんだった。
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