「戸隠か~」と独りひとりごちする。
なんだか不思議な縁だ。戸隠の鬼無里村といえば、父方の祖父の出身地。祖父は父の実家の長野県中野市にムコ入りしたのだった。
大森義明氏主催のOFFICE-ALPINEに入校して夏といわず冬といわず、長野方面に向かうことが多くなった。
最終集合場所の茅野、松本などから車を走らせていると車窓からは信州の山々が季節によっては青々と連なり、冬季には銀嶺の重なりを見ながらいつも思う。
「ああ、父はこの山並みに抱かれて生まれ育ち、山々で遊んだんだな~」と。
脱奥多摩で八ヶ岳などに登るようになってしばらくは、そのことに気がつきもしなかった。
ホームに入居していた父が身体の自由が利かなくなったとはいえ、せめて、まだ少しは話しが通じる時期に気づいて「信州の山はいいね」と言ってやればよかった。など今だから思う。
果てることのないうらみつらみを吐き出すこともできず、触らぬ神にたたりなしとばかり、せいぜい近寄らないようにしてきたことが悔やまれる。
思えば日本全国広しといえど、私にとって長野県こそ最も「足が向かない県」であるはずだった。今ではもう売り払ってしまったが父の生家があり、父の6人の姉妹・叔母叔母、従兄弟たちがそこここに住まう、いわば縁深き地であればこそ、父と母との悩ましい限りの相互関係、母と父方の親戚、両親と私とのややこしい関係性が起因して疎遠だった。
脳梗塞の後遺症も手伝って認知症様が深くなった父を見て、実は心底ほっとした。もうこの人の言動に悩まされることからは解放されたのだと。
しかし、それは同時に「もう恨みも怒りも投げかけられない存在になってしまった」という喪失感でもあった。
何度目かの八ヶ岳山行。茅野駅から登山口に向かう車窓に雪を頂いた山並みがどんどん近づいてくるのをぼんやり眺めていて、ふと不思議な感覚に捉えられた。
何んとはなしに分け入った登山の道としか思っていなかったが、とんでもなく深いところで脈々と流れる因縁の糸を無意識にたぐっていたのではないかと思い当たったのだ。
「馬鹿野郎!」と言えなかったが故に「信州の山はいいね」とも言えなかった。けれども、どこかでその欠損の穴埋めをせずにはいられないで、せっせとほしかった父性を拾い集める作業をしているのかもしれない。
その作業の場が信州の山々だとしたら、それもまたなんという縁だろう。紛れもなく血脈の連鎖をたどっていることに考えをめぐらせると、わけもない懐かしさと同じぐらいおぞましさに身体が震えた。
父が亡くなってから1年が経った。
遠くから眺めるだけで八ヶ岳の峰々の名を言い当てられるようになったころ、山々を眺める視線の先に父の存在を感じる時、身が震えるほどの嫌悪が薄れてきているのが嬉しかった。月日の流れが感情の汚濁をろ過し、己にとって心地よいものだけが純化されて残るという、これこそが天が与え賜うたありがたい「忘却」のシステムに違いなかった。
怒りや悲しみ、うらみつらみを抱えたままでは、清々とした幸福感を得られようはずもないのだから。
「さて下山するよ」
登ったからには降りなければならない。登りでさえあれだけの緊張を強いられた行程だった。同じ道を今度は降りるのかと思うと、長い行程にうんざりするというよりむしろ、不安と恐怖を振り払うところから気合を入れなければならなかった。
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【ご一緒しませんかアラカンさん!】
今年還暦を迎えるジャストさん。文字通りアラウンドなアラカンさん。
もうもう、この際、around50も40も大歓迎!
ご一緒しませんかシャモニーへ。
登りませんか、モンブランへ!
(トレッキングコースもあるみたいです)
*7月3日発にご一緒の方
シャンペン、おごっちゃいますよ~
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