五十年殺しの行方

それは夏が始まろうとする7月初旬のことだった。

踏切の遮断機が上がるのを待って、走って乗った車両はいつもの乗車位置よりやや後方。降車駅のその辺りは大変混雑して改札へたどり着くまでに時間がかかるからと、ひと駅目で降りて足早に移動した前方の車両へ足を踏み入れた瞬間、左足首に激痛が走った。

「やっちまったか?」と思ったが痛みは未だそれほどでもない。駅に到着して歩き始めるとあんがい歩けるので大丈夫かと思ったが甘かった。改札を抜けたところで左ふくらはぎ辺りに激痛が走って歩こうにも歩けない。改札を出て左脇の壁際に体を寄せ、膝に手をついたまま痛みをこらえた。

「やっちゃったな」

こうなるとどうしようもないのがいわゆる「肉離れ」だが、これまでにも軽重合わせて2度ほど経験のある症状とどうも違う。痛みが消えそうになったり戻ったりと一定しないのだ。

その時はそろそろと足を路面に「置く」ように歩いて仕事場へ到着。冷凍庫にあった氷を紅茶の空き缶に入れてタオルでくるみ、痛みの強いふくらはぎの当該部分に縛り付けてスツールの上に足を載せ、仕事を始めた。いわゆるひとつのRICE【Rest(安静)、Ice(アイス)、Compression(圧迫)、Elevation(挙上)】処置というヤツである。

そうこうするうちに少しく痛みが取れたのは幸いで、さては「RICE」が功を奏したかと思いきや、帰宅の段になって再び激痛が戻ってきた。不可解なのは痛いのがふくらはぎではなく足首近く、くるぶし辺りに動いていることだ。

これは「肉離れ」じゃない。


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今回は「かりかり豚バラ肉のマスタードレモンソースがけ」。
かりっと豚肉にマスタードとレモンの風味が美味美味

 

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つらいのはそれからだった。なにしろソロソロとしか歩めない。5m歩いては膝に手をつき、また10m歩いては傍らの塀に寄りかかると言った具合で、痛みはいっこうに引くようすがない。

なんとか最寄りの降車駅までたどり着くと、幸い痛みがやや軽くなっていたので買い物を済ませたが、荷物を持ったとたんに痛みが戻る。それにしてもやっとの思いで玄関ドアまでたどり着いてそろそろと靴を脱ぎ、部屋に上がる頃にはまた痛みが軽くなっているのがどうにも不可解である。

なんですかこれは?

食事を取る間にも軽い痛みが続いていたが、夕飯を終えてソファに移るとまた痛みは強くなるのである。温めていいものやら冷やしていいものやらわからないまま、シャワーだけは浴びて布団に潜り込んだが、眠りにつくまでとうとう痛みの治まることはなかった。

ところが。翌朝起きてみると、まったく痛みがない。これでこれが「肉離れ」ではないことは確定したが、痛みの原因は不明のまま。2日目もその次の日も、とうとう痛みは出ないまま通常の生活をこなして過ぎていったが、3日目の朝、仕事場へ着くと「それ」はまたやってきた。

今回は以前よりも痛みが強い。原稿を書いていてもちょっと我慢しきれないくらいの痛みで、原因がわからない不安に駆られて検索をかけてみる。出てきたのは

・足底筋膜炎
・浅腓骨神経麻痺
・座骨神経痛
・痛風

などだが、どれも子細を見ると微妙に自分の症状とズレがあって、決定打に欠ける。不安なままに痛みに耐える日が何日かおきに続いていた。

原因が判明したのは、2週間に一度、定期的に通っている鍼灸治療院。話を聞くなり師は「神経痛じゃないの?」という。

「神経痛」。何やら年寄りじみた名称だが、聞けば若くしても(まぁたしかに若くはないですけど)なるらしい。以前、運動中におこした古傷の「捻挫」や「靭帯損傷」が治りきっておらず、深いところに残滓が残っている場合にこの症状が発現するという。

そういえば小学生のころ、年に一度はグキグキ足首を捻挫してたっけ、と思いだしたのはこの時である。

 

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その流行の起源はわからない。僕が小学校4〜5年という時代を過ごした昭和40年前後、どういうわけか3cmばかりのゴム製厚底をつけた足首までの編み上げバスケットシューズが激しく流行っていた。

皆さんご存じの通り、小学生男子の暮らしにも「流行」と名のつくものがあって、当時はやったのはこの「厚底バスケットシューズ(通称バッシュ)」、「プラスチックの板を組み合わせるパズル(通称「プラパズル」)」、「蝋メン(縁に蝋が塗られている直径2cmほどの円形のメンコ。人差し指と親指で挟み、蝋で滑らせて飛ばして遊ぶ)」など。

親にねだって買ってもらったその厚底バッシュを履いて走り回ったが故に、幾度も繰り返すことになった「捻挫」がこの痛みの元凶であると思い出すのにさほど時間はかからなかった。

「三年殺し」、ならぬ「五十年殺し」。五十年ぶりに思い出した「厚底バッシュ」ではあったが、もはやなんの感慨もないのであった。

 

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鍼灸師の宣(のたまわ)わく、「こういう痛みには『お灸』が効くよ」と聞いてさっそく試してみる。

灸をすえてみたのは「治療翌日はお灸はしてはならぬ」というお達しを受けて、鍼治療から2日たった日の朝。もっとも痛い場所を探して灸をすえていった。

以前にも「腰痛治療」のために灸をした経験で知っていることだが、この灸治療の不思議なところは灸をすえるやいなや痛いポイントが移動していくことである。

この時もポイントは最初にすえた「左足首内側くるぶしの直下」から「足の甲」、「足首外側」……と移動して、最後に痛みがもっとも増した「外側くるぶし近く」まで、合計五つのポイントに施灸して治療を終えた。

と、その時はなんともなかったのだが仕事場に着くや痛みが発現する。さして広くもない仕事場のスツールと椅子をビッコをひきながら動いて、なんとか仕事は終えたが痛みはどんどん増していた。

そして夕刻。またしてもゆるゆるとした足取りで膝に手をついて痛みをこらえつつ家路につくが、電車に乗って帰宅駅までたどり着く頃には痛みは最高潮に達していて、まともに歩くこともままならない。

これは以前「肉離れ」をおこしたときと同様、徒歩5分の距離をタクシーで帰らなければならないか、と覚悟を決め始めた刹那、ふっと痛みが少しく軽減した。しかし驚いたのは「これならなんとか」とそれでも痛む足首をそろそろと動かして、駅前交差点の角を曲がった瞬間だ。

痛みが嘘のように消えて通常歩行が可能になったのだ。

あとから聞くと、どうやらこの時おこした「施灸後の痛み」は施術したことで起こる「瞑眩(めんげん)」(好転反応)だったらしい。

鍼灸師からは「そんなにあからさまに出ることはないけどね」と言われながらも、以後「痛み」が出ていないところを見ると、あれを境に治ったと言って良さそうだ。

「施灸」の効果を見直すとともに、自分の体のひとつ「歴史」を垣間見たような、そんな夏の初めでありました。

 

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というわけで、そんなこともあってひと夏丸々「ジム・トレ-ニング」に行くことの叶わなかった今年。ようやく2週間ほど前に再開したトレーニングはことのほかきつく、ようやく3回目にして元の調子を取り戻したところ。

トレーニングができればおいしくなる(してなくてもおいしいけど)のは食事。そんなジムへ行った日の夕食にはガツン、とこんな「かりかり豚バラ肉のマスタードレモンソースがけ」を。


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焼肉用豚バラ肉の薄切り。脂を落としながら塩コショウ、ニンニクで焼いてソースをかけていただきます。バラ肉だけど脂はだいぶ落ちるので「いくぶん」ヘルシー(笑)。

天高く、ワシ肥ゆる秋。次回更新は10月7日の予定です。

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