この間、電車の座席に座って本を読んでいると、隣に座っていた女性がやにわに膝に置いた大きなカバンの中をごそごそと物色し始めた。奥の方から大きな化粧ポーチを取り出して、どうやら化粧直しをするつもりらしい。
その時、いけないとは知りつつ手元の本から目を離し、バッグの中へついつい視線をやると、ハンカチ、タオル、ティッシュ数個(開いたのと未開封のと)、別のポーチ、スマートホン、折りたたまれた紙の束、飴の箱、人形(なぜ?)、リップクリーム……と、ものを探すのにひと苦労しそうな密度の高さである。
こういう風景に遭遇すると、道行く人を観察するのが好きなタイプとしてはがぜん想像力がたくましくなる。どういう仕事をしているのか、あるいはどんな部屋に住んでいるのか、当たらずとも思い描くだけで満員電車に揺られていてもちょっとした楽しい時間を送ることができるというわけだ。
僕が日頃使っている路線には中学・高校・大学と、学校が多いのでいきおい夕方の時間帯などは帰宅途中の中高生に遭遇することが多く、いきおいそんな年代の学生が持ち歩く鞄の中身を観察できることもあって、「ほほう」と思うことしばしば。
こちらは会社勤めと違って教科書、ノート、学参、ファイル、ペンケースに始まって、タオル、空の弁当箱や人形、ガラクタとしか呼べないようなもの(ストローとかペットボトルのキャップとかそういうヤツ)……が入って賑やか。今時の学生が持つ興味の対象や趣味嗜好を観察できるチャンスはそう多くない。
ちなみに今書いたのはどちらも女性のバッグのことだけど、なぜか共通点が人形。時にタオル地でくるまれ、時に柔らかな樹脂で作られたオットセイやクマ、あるいはヘン顔をした謎の動植物のぬいぐるみであることが多く、女性心理の深淵を隙間のぞき見る気持ちで感慨深い。なんなんでしょうね。アレは。
僕が描くキャラクターの人形があそこにあっても不思議ではない、とも思うのだが、何かそこには僕の知らない女性の不思議な心持ちが働いているに違いなく、その辺りを理解するにはまだまだ修行が足りぬ、といつも勉強させられる瞬間だ。
ちなみに男子学生の鞄の中身を観察する機会があまりないのは、その多くがたいてい電車に乗り込むや大きなバッグをドスンと2本の足の間に置き、やおらゲーム機やスマートホンを手にゲームを始めることがほとんどだからで、鞄を開けているところを見る機会がほとんどない。
あれはあれでそんな様子を目撃するたびに少し暗澹たる気持ちになることが多いのだけれど、こればかりはどうしようもないのでひたすら心の中で嘆くばかり。このあたり将来男子と女子の行く末に、埋めることのできぬ隔たりが生まれてしまうような気がするのは僕だけだろうか。
まぁ見ることができたとしても、汚れたジャージ、マンガ本、運動靴、ポテチの袋くらいしか入っていないだろうからあまり能動的に見たいとも思わない。自分の通ってきた道なので興味がわかない、というのもあるしね。ともあれカバン。今回は通勤・通学に使うカバンのお話です。
「なんちゃってロースト・ビーフ ていうかローストしてないじゃん(長い)」
ここまでが料理名だとご理解ください(笑)。でもちゃんと美味しい!
ところで僕が通勤に使っているカバンには夏用・冬用の2種類あって、この季節使っているのはいつだか修理のことで「第15回・修理をめぐる冒険」にも登場した、革製の重いランドセルタイプのバッグである。
このバッグ、フォーマルでもなく、かといってカジュアルすぎず、そのうえどんなコートにも合わせることができるので重宝。もう何年も使っているので年季だけはしっかり入っているが、その外見が「ボロ」とはとられず「時代がついている」と言ってもらえるのは革製のいいところだ。修理に出した折にも対応してくれた女性から「とてもいい雰囲気に育てていただいてありがとうございます」と言われたくらい。
にもかかわらず、もうこの型番自体はすでに製造中止になっているそうで、使われている留め金の修理ももう少しで「不可能」になるところだった。その辺ついつい文句を言いたくなるが、今回はその話ではないので自粛する。
で、問題はこのカバンに入れるもの。僕がこのカバンに入れて持ち歩いているものは以下の通り。夏でも冬でもだいたい同じだ。
スケジュール帳(A5判)/アイデア・ノート(A6判)/メガネ・ケース/名刺入れ/免許証入れ/財布/ハンカチ代わりの手拭い2本/ヘア・ゴム/リップクリーム1本/予備の鍵セット/ボールペン/電気シェーバー/トート・バッグ/デジカメ……などである。
「予備の鍵セット」は鍵を忘れて仕事場に来てしまった時用、「手拭い2本」は現在の「花粉の季節用」だが夏用バッグにも「汗取り用」に2本入れる。少ないように見えるけれど、実際入れるとけっこうなボリュームだ。
先に書いた会社勤めや高校生が持ち歩くカバンの中身に比べると、ずいぶんシンプルだということは、読んでいる方々にもわかってもらえると思う。ところが、である。いつもカバンを開けては「アレがない、コレがない」と四六時中手を突っ込んで探しているような気がするのですね、これが。だいたい原因はわかっている。
・入っているものが黒くてカバンの色と保護色になっている
・同じくらいの大きさのものが多い
・いつも使うとは限らないものが入っている
わかってるんだから色を変えるなり形を変えるなりすれば良さそうなもんだが、ついついいつも似たようなものを買ってしまうのでいっこうに解決しない。無意識の好みはそうそう変えられないことの証しでもある。
ところでカバンに手を突っ込んで探しても見つからず、「そこにいるのはわかっているぞ!」とばかりに中のものをぶちまけているとき、「これは何かにすごく似ている」と毎度思い出すのは「絡まったイヤフォンのケーブルを解きほぐしているときの感じ」である。
ただ耳から外しただけなのに「なぜこれほどフクザツに絡まってしまうのか」とブツブツ言いながらほぐしているときの気分、あれに似ているのだ。
人生における「カバンの中に入っているものを探している時間」と「絡まったヘッドフォンのケーブルをほぐしている時間」を合計すると、どのくらいになるのか見当もつかないが、それがどのくらいの長さであれ「時間の無駄」であることは明白である。
ケーブルをほぐすのに5分、中に入っているものを出して再び収めるのに5分として計10分。寿命を80年として、それぞれを成人後の3日に一度ずつ執り行うとするとどうなるか。
[(10(分)×365(日)×60(年)]÷3=73000(分)=1216(時間)≒58日]
なんと58日間も絡まったケーブルをほどいたりカバンに手を突っ込んでいることに時間を費やしているのである。しかもどちらも5分で片付かないケースもあるだろうから、さらにそれ以上。仮に60日としても、人生の中で2カ月もこんなことをしなくてはいけないとしたら気も遠くなるばかりである。恐怖。いやはや(あっ。そこのあなた。「そんな計算している時間の方が無駄」って言うの禁止)。
ちなみに「ヘッドフォン・ケーブル・絡まる」で検索をかけると実にいろいろなグッズや方法が紹介されていて、いかに多くの人が「絡まるケーブル」に悩まされているかがわかる。
「絡まり防止」のグッズもたくさん出ているけれど、そこから外してポータブル・オーディオにつないで音楽を聴き、どこかへ到着後に耳から外して再度その「絡まり防止グッズ」を使おうとカバンの中から「それ」(たいてい小さい)を探すことを考えると使う気がしない。
とはいえ技術革新の進む昨今だ。今僕がカバンの中に入ているものも、その多くがアウトソーシング化される日だってくるかもしれない。まだまだ発展途上のワイアレス・ヘッドフォンもいつか高性能、かつバッテリー不要のものが開発されることだってあるかもしれない。
事実、スマートフォンを持つようになってスケジュール帳が不要になった、携帯電話で赤外線送受信するので名刺を渡すことが減った、などという話も漏れ聞く。指紋認証で家や仕事場の鍵がいらなくなったケースもあるらしい。「手にものを持つことが極端に嫌いなタイプ」としては、身軽に外を歩き回ることができる日が来ることを切に願うばかりだ。「軽いカバンひとつで街歩き」。なかなかステキな響きじゃないか。
とはいえそうなったらそうなったで、「あの無駄な時間が懐かしい」とかいう人も出てきそうで、人間なんて勝手なもんだ、と申し上げて今回もコレギリ。昨今喧伝される「通信費値下げ」が実現するといいんだけど、未だスマートフォンに乗り換える日も遠そうだしね。
そんな「無駄なこと」を考えた今回のかんたんレシピは「なんちゃってロースト・ビーフ ていうかローストしてないじゃん」(長い)」。正直に言うと「ゆで豚」ならぬ「ゆで牛」ですが、限りなく上出来なローストビーフに近い味わいです。ぜひお試しを。
てなわけでそろそろ「お花見」の声も聞こえてきそうな季節の到来。花冷えと飲み過ぎに注意しつつまた次回。次回は4月8日更新の予定です。
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