借りぐらしのアリエッティ

「借り」と「盗み」はどう違うのか。本作には深遠なテーマが見え隠れする。

とある郊外の古い屋敷の床下。小人の少女アリエッティは父母と3人で暮らしていた。石鹸や砂糖、電気やガス、ティッシュなどの生活必需品を少しずつ人間から拝借し、その生活を営んでいるのだ。だがある日、「人間に見られてはいけない」との小人界の掟があるにも関わらず、アリエッティは人間の少年に見られてしまい……。

その昔、醤油や味噌を切らしたときは、自分たちが使う分だけをお隣さんから「借り」てきたのだという。私自身はその時代には生まれていなかったので実際にその光景を目にしたことはないが、現代よりも人と人との距離が近く、個人情報守秘を声高に叫ぶ人もいなかった時代だ。借りてきたそれらは違うものになってお隣さんにお返しされ……というぬくもりのループが存在し、その時代をあたたかなものにしていたはずだ。
本作の小人たちは人間に気づかれずに様々なものを調達する。無論、知らぬうちになくなっても困らないものばかりだ。だが醤油の例とは違い彼らは人間に何かをお返ししたりはしない。

そのあたりが「盗み」を連想させてしまうのだが、自分の所有物だと思っている我々の「物」も、もとはといえば地球に存在していたものを拝借して加工したものばかりだ。だからそれを誰が持つことになろうと、本来誰にも所有権は存在しない、だからこれは盗みではない。それにラストで人間に勇気を与えているから、小人の存在自体が人間へのお返しだ……とかなり苦しい論理展開をしなければ万引き礼賛映画になってしまう危険性も秘めている。本作を見て盗みを正当化する輩が出てこぬことを祈るばかりだ。特に倫理観がまだ確立されていない小さなお子さんが本作を見たなら、保護者の方々はそのケアに相当注力しなければならないだろう。「借り」なければ生きていけない……これは人の血を吸わなければ生きていけないバンパイアと通じるものがある。まぁ、本作には原作が存在するので、ジブリ側に直接の非難が向けられることはないのかもしれない。
また、瑣末なことではあるが、小人や様々な物の大きさがシーン毎に異なる場面があるのも、惜しいと言えば惜しい。
特殊な使命または能力を持つキャラが特殊な舞台で特殊な事象を繰り広げる『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、特殊な使命または能力を持つキャラの普通の日常を描く『魔女の宅急便』、平凡なキャラが特殊な舞台で特殊な事象を繰り広げる『千と千尋の神隠し』。本作はといえば、二番目の『魔女の宅急便』系である。自然回帰が叫ばれる昨今、緑たっぷりのほのぼのした世界観に癒される人は多いだろう。

借りぐらしのアリエッティ(アニメ絵本)
床下の小人たち(単行本)
原作:メアリー・ノートン『床下の小人たち』
監督:米林宏昌
脚本:宮崎駿(企画も)/丹羽圭子
出演:志田未来 /神木隆之介 /大竹しのぶ/竹下景子/三浦友和/樹木希林
配給:東宝
ジャンル:邦画
公式サイト:http://www.karigurashi.jp/index.html

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