店の主人、ジャンニ・バッソ氏ヴェネツィアのひっそりとした小さな路地。そこには間口の小さな薄暗い店。そして以前から訪れたいと思っていた人物がこの店の主人。店内に足を踏み入れながら「ジャンニさんですか?」と話しかけたら、「いや、僕はグーテンベルグだよ」と笑顔で振り返った男性。
ジャンニ・バッソ氏、56歳。ヴェネツィア生まれの彼がこの地で活版印刷業を始めたのは40年ほど前。今ではもはや珍しいであろう手作業での殖版・印刷を現在も続けている。
イタリアらしく彼も代々の印刷業を営む家系なのかと思いきや、この業界に入ったのは彼の意思だという。
ここには古くて美しい印刷機と版、壁には活字、製作物及びサンプルがびっしり。アンティークなこれら印刷機は、19世紀のドイツ製のものなどだ。今なお現役のこれらの道具類は、現在のデジタル化の流れに押され、廃業する業者などから買い受けたものだという。
重厚なドイツ製の印刷機、1800年代のもの
精巧なエッチング。ヴェネツィア本島を模したものこの狭い工房内にはお宝がゴロゴロしている。印刷機はもちろん、300年も昔の木版や、美しく精巧な銅凹版画版。そしてなんとピノッキオの原画とその原銅版がこの部屋のいくつもある引き出しに保存されている。もちろんこれらも現在使用されているものだ。
彼曰く、ここは印刷博物館。展示博物館ではなく、稼働している博物館。まさしく生きている博物館だ。
ピノッキオの元版がここにあるこんな機械を使ってできる彼の手がける印刷物は独特の”味”があり、世界中に多数のファンがいる。依頼を受けるのは、オリジナルの名刺、カード類、エクス・リブリ(Ex Libri)と呼ばれる蔵書票など。そして注文したほとんどがリピーターとなるそうだ。
ヴェネツィアは元来、印刷・出版業が発達した土地柄である。その主な理由としては、ヴェネツィア共和国という自治国家を創りあげ、思想や言論を抑制されていたローマとは一線を画していたこと、そしてヴェネツィア自体に自産する産業が乏しかったことから、印刷業が産業として発展したという地理的・歴史的背景がある。
そんなヴェネツィアには18世紀にトルコの迫害を受けたアルメニア人が流れ着いたサン・サテロ島という小さな島がある。そこには修道院も建てられていたが、その院内において宗教書をはじめとした印刷・出版活動がなされていたのだ。
これがロッサ・ヴェネツィアーナ。彼本人の名詞ジャンニ氏は15歳の時にそこで印刷技術を学び、そのおもしろさに魅入られ、28歳でヴェネツィア本島にて自分の工房を持った。その後はずっとこの場で仕事を続けている。ここ最近、大学を卒業したばかりの息子さんが店を手伝い始めたというので、次世代、そしてその次と、この店がいつまでも存続することを願って止まない。
実は、この工房、もうすでに日本のガイドブックなどには数多く紹介されている名店であり、日本人の客も珍しくはない。彼らのなかにはここで名刺をつくるためだけにヴェネツィアを訪れる人もいるとかいないとか。
小さな間口の店。看板はない名刺は名前や必要情報に加え、バッソ氏のアドバイスを受けながら様々なデザインを加えたオリジナル性溢れたものとなる。個人的なオススメは、ヴェネツィアのシンボルである黄金のライオンの背景にある真紅色。ロッサ・ヴェネツィアーナという独特の真紅だ。
ヴェネツィアの小さな工房で出会った印刷屋の主人、ジャンニ・バッソ氏はアルティジャナーレ(職人)というより、アルティスタ(芸術家)。その人柄と仕事ぶり、そしてこの場所、この空間に多くの人が魅了されている。活版印刷の発明者、グーテンベルグを名乗るのもうなずける話である。