ゲットーでの花市


100420_02_01.jpg
ゲットー内の広場には色鮮やかな花を売る露店が

パドヴァのチェントロ(旧市街地)、町のど真ん中に、かつてユダヤ人が強制的に居住地を指定された地区、ゲットー跡がある。

この地にユダヤ人が住み始めた歴史は12世紀まで遡る。イタリア国内でも大変に歴史のあるパドヴァ大学がこの地に始まったことを契機に、ユダヤ人も含む多くの外国人学生がやってきた。宗教、思想、文化などが違う多国籍の学生たちに混じり、ユダヤ人が特に異国であるこの土地で台頭してきたのは、彼らの持つ商売魂、そしてその能力。金融業(質屋や高利貸し)などで財力を持ち、生活の基盤を彼らの力で築いてきたのだ。これは後にユダヤ人迫害の要因となるのだが……。


100420_02_02.jpg
春の代表花、チューリップ
100420_02_03.jpg
ハーブの種類も豊富
100420_02_05.jpg
トウモロコシの皮を使用して編み細工をする職人さん

パドヴァには、主にドイツ系、スペイン系のユダヤ人がいたとされ、現在のゲットー地区とは別の場所にそれぞれが居住地を指定されていた。イタリア各地で生活基盤を築いてきた彼らだが、15世紀にはローマ周辺及びトスカーナ、ヴェネツィア共和国のスペイン系、トレヴィーゾ周辺のドイツ系のユダヤ人がパドヴァに集められている。その際にはそれまでに蓄えてきた所有地、財産をすべて没収されての強制移住だ。

その後16世紀には、勢力を拡張し続けるヴェネツィア共和国を恐れた新聖ローマ帝国とフランスとの間に締結されたカンブレー同盟の争いがおき、また、その直後のヴェネツィアのヘブライ人の整理に伴い1513年にはパドヴァのユダヤ人は現在のゲットー跡地にすべて集結。地区内は4つの門で外部と区切られ、夜は鍵をかけられ出入りは禁止されていた。
17世紀に入ると、イタリア各地において、ほぼすべてのユダヤ人が各地のゲットー内でしか生活することを認められなくなっている。4つの門を持つパドヴァのゲットーは、比較的大きな地区だったようだ。

ゲットー地区内では、教会や学校が建てられ、文化も発達したことはよく知られているが、現在でもシナゴーク(ユダヤ人教会)跡があったり、そこを通る細い道には日当たりを遮るかのごとくに家屋が建て込んでいるなど、ゲットーならではの面影が残る。日中は大変に静かだが、一帯はエノテカやらオステリア、バールなどがたくさんあり、特に夏場の夜は道端でアルコールを飲む若者のマナーについて、住民から苦情が絶えない場所であったりもするのが現状だ。

そんなゲットー地区で3月終わりの日曜日、春を呼ぶ花市が開かれた。これはパドヴァ市とゲットー地区内の組合とで毎年開かれる春の恒例行事。春先の変わりやすい天候が続くなか、この日は天候にも恵まれ、鮮やかな色とりどりの花が美しい街並みに色を添える。春ならではのチューリップ、ガーベラや名はわからないがともかくカラフルな花の数々、 そして様々な種類のハーブの鉢植え。長い冬が終わりを告げ、日差しが急に力強さを増し始めると、各家庭のベランダは競うように美しい花の鉢植えが飾られるのだ。


100420_02_04.jpg
外観の素敵なアンティーク家具店
 


100420_02_06.jpg
ゲットーならではの趣のある風景。
悲しい歴史も繰り広げられたのだろう

そしてそんな花の露店と調和しているアンティーク家具店。パドヴァの町の風景ならではのポルティチ(柱廊)下で、思わず立ち止まる美しい風景に出くわす。その横ではオリジナルのユダヤ人女性による手仕事の実演。

ここ一角には時間がタイムスリップしたような錯覚にさえ陥る、ゆったりとした時間が流れる。歩きずらい石畳をゆっくりと歩きながら感じる、"春"。 確かな季節の移り変わりだ。