09年7月4日、ジャスト還暦を迎えた銘記すべき日。
「アラカン編集長モンブランを行く」企画では成田を2日に発って、パリ、ジュネーブを経てシャモニーに入りシャンペン・シュポーンのはずだった。
5日、6日は周辺の山で高度順応して7日はモンブランに登り始めゲーテ小屋泊まり。8日の早朝には小屋を出て登頂、一気に下山の計画だった。
5月17日にジムでボルダリングしていて落下。18日に第2腰椎骨折と判明、即入院となった。診断が下された時の瞬間の「ポカン」とした理解不能感と次の瞬間に訪れた驚愕、ストレッチャーに載せられ様々な検査をしていくうちに見る見る間に変化していく「病は気から」にしては信じ難い状態悪化への恐怖と不安は思い返しても今さらに身が震える。
計画はいったんは無に帰した。
入院の時点で2009年の夏の計画は想像を遥かに超えたものへと変貌せざるを得なくなった。
7月4日当日。
6月20日にどうにか退院にこぎつけたものの、心もとない「病み上がり」はそれでもなんとか自身にけじめをつけたくて、仰々しい脊椎保護のためのコルセットをつけたまま都内のバーのカウンターでほろ苦い酒に酔った。明け方まで杯を重ねた。
明け方の虚脱した街をふらりふらり歩きながら、酔った頭で自問した。
こうも七転八倒しながらもなお手に握って離せない、どうしてもたどり着きたい到達点はなんだったのか?一体、何がしたかったのか?!
「あああ、今頃はシャモニーだったのに」話題を蒸し返すのは、むしろ自身で、訪れたバーのカウンターで席を並べた顔見知りは、何はともあれここに、なんとか無事にこうして存在していられることを喜んでくれた。
山の仲間も、スタッフも、友人も誰もが優しかった。
「モンブランは逃げて行かない」
ゴールは動かない。道のりはさらに遠くはなったが見えている。むしろ2009年計画が頓挫したと同時に2010計画は動き出しているのだ。逃げ出したくなっているのは誰?!
その道のりの遥けきにおびえるあまり、辛くも命永らえ、そればかりか後遺症をも免れた、もしや人生最大のピンチで最高の「運」に恵まれた幸いを自身が精一杯抱きしめられないで、他に何が始められよう。
7月16日は退院4週目の診察を受ける。もしかしたらコルセットが外れるかもしれない。そうしたら改めて高らかに宣言したい。
2010年「アラカン編集長モンブランを行く」の新たなるスタート!
なあに、2010年の7月3日まで還暦年なんだからして…
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