南湯 –やめられない–

さて、「銭湯民族の教え」の連載が始まってから、一年が過ぎた。だからというわけでもないが、今回は少々真面目な内容でいくど。ええな。

この一年、ボクは一体何回銭湯に通っただろうか? 現在、銭湯ものの連載を2本書かせてもらっているので、取材絡みで月2回。それ以外にも個人的に最低週 一ペースでは通っているので、少なく見積もっても年70回は通っていることになる。この数字、銭湯民族としては決して多い数字とは言えない。いや、むしろ 少ないだろうな。
東京都にある銭湯の数は、現在約900軒。最盛期には約2900軒の銭湯があったとされるので、その減少ぶりは尋常ではない。原因については様々だが、一番はやはり湯客の減少だろう。
自宅に風呂があるのは当たり前の時代。そうなると当然、わざわざ外湯をもらいにいくなどということはしなくなる。がしかし、本当にそれでいいんですか? 銭湯が廃れちまって本当にいいんですか?
銭湯とは“配慮を学ぶ場”。個人的にはそう捉えている。とどのつまり、今の世に生きる日本人にこそ、銭湯は必要不可欠なはずなのだ。
配慮なんて知るか! そんな奴ぁ、一度銭湯に行ってこい! そして、己のモアイ像さらけ出してこい!
銭湯で傍若無人な振る舞いなどしていたら、すぐに地元連と戦闘だ。モアイ像のつかみ合いだ。もぎり合いだ。
いや失礼、話が脱線してしまったが、ようは、たまには銭湯で自分を見つめ直してみるのも悪くはない、ということを書きたかったのだ。

というわけで、今回は江古田にある「南湯」に行ってきた。江古田は学生街として知られる街。よって、「南湯」の湯客には学生も多い。
屋根は風情ある破風造り。涼やかな青い暖簾をくぐると、そこには昔ながらの下足箱が並ぶ。脱衣場に隣接する坪庭の池では、紅い金魚が尾ひれを揺らしてい る。静かな午後。セミの声。そんな中で脱衣場の格子天井を眺めていると、なんだかノスタルジックな気分になってくる。浴場との境目に置かれた 「Keihoku」製のアナログ体重計が、そうした気分を一層盛り上げる。昭和の時代の飾らない温もり。「南湯」には、今もってそうした“優しさ”が残っ ているのだ。

番台に立つカズシさんは、脱サラをして銭湯経営に就く「南湯」の三代目。その実直な佇まいは、昭和の時代に国民的歌手と謳われた、東海林太郎を思わせる。ここまできたら、もう徹底してノスタルジーなのだ。
靴下を脱いで脱衣カゴに入れる。続けてTシャツを勢いよく脱ぎ捨てる。ベルトを外したら、ジーンズを下ろしてパンツを脱ぐ。全裸の余韻にしばし目を細めた 後、浴場へと続くガラス戸を、ゆっくりと開ける。眼前にあるものは、優しい石鹸の薫りと豊富な湯。たまらない開放感が身を包む。

これだから、銭湯はやめられない。

『南湯』
東京都練馬区栄町19-5