一葉泉 –ゴールを目指して–

予定のない日曜日に、自転車で小旅行に出ることにした。行き先は特に決めていない。快晴の下、気分に任せてただひたすら自転車を走らせるだけだ。
もの書きなどという不健康な仕事をしていると、どうにも運動不足になりがちで、原稿の締め切りが集中した時などは、5日も6日もパソコンの前に座り続けることになる。すると体が仏像のように硬くなり、“あんこ”でも詰められたかのように目ん玉の奥が重くなってしまう。固まりすぎて本当にホトケになってしまってはマズイので、体の血流を促すためにも、こうして時折自転車を漕ぐのだ。
行き先を決めていないとは言え目的はある。小旅行の帰路で、銭湯に立ち寄るのだ。リュックの中にはいつもの風呂道具を詰め込んである。つまり、銭湯がゴールというわけだ。そうなると、入り口の暖簾がチェッカーフラッグだな。自転車ごと浴槽に飛び込んでやるぜ。
さて、高く突き抜けた青い空。街路樹を染める藤黄の葉。季節はもう秋である。隅田川の堤防には、同じく自転車を走らせるサイクリストたちの姿があった。
追い風に押されながらぐんぐんスピードを上げてゆくと、それだけでもう体の中に溜まっていた黒いものが跡形もなく消えてゆくような気がする。凝り固まっていた体がゆるゆると解れて、解凍されたササミ肉のように温もりを取り戻す。
そんなわけで、埼玉県川口市に差しかかったところで、東京方面へと折り返すことにした。あとはゴールとなる銭湯探し。
湯はどこだ。長い煙突はどこにある。

しばらく走って三ノ輪の路地裏を探索していたら、一件の湯屋を見つけた。樋口一葉ゆかりの湯、「一葉泉」だ。ゴールにふさわしい、なんとも美しい屋号じゃないか。
樋口一葉と言えば、「たけくらべ」に「 十三夜」に「にごりえ」だ。
オレは「呑みくらべ」に「徹夜」に「にごり目」か。まあそんなことはどうでもいいとして、早速自転車を停めて入り口の暖簾を分け入った。

「一葉泉」は、バイブラ系の浴槽をメインに据えた慎ましやかな湯屋ながら、地元客で賑わう繁盛湯だった。洗い場では鳥羽一郎風の男がひとり、鼻歌を歌いながら豪快に体を洗っている。鼻歌は当然「兄弟船」かと思いきや、なんだかよく分からない歌謡曲のようだった。
程よく疲れた体に、熱い湯が沁み込んでゆく。湯に浸かって、波しぶき舞う島景の壁絵を眺めていたら、どこぞの港町にでも遊びに来たような、ちょっとした旅気分になってきた。

「ぶらり銭湯探しの旅」。今回はこのへんで終いでございます。

『一葉泉』
東京都台東区竜泉3-17-11
TEL:03-3872-8212