平和湯 –地獄の釜–




さて、気づくとこの「銭湯民族の教え」も、今回で10回目を数える。
近頃では、銭湯情報のタレ込みも多くなり、まさに銭湯男としての地位が確立されつつあるのだ。
そんな中、友人から挑発的なメールが届いた。
“今戸の平和湯は、地獄の釜のように熱い湯だぜ。お前みたいな奴はきっと、10秒も入っていられないだろうな”
おのれ。
熱い湯は得意ではないが、そこまで言われてすごすごと引き下がるわけにはいかないのだ。
そんなわけで、今回は“今戸の地獄釜”こと、平和湯に突入することにした。

ポツポツと雨の降る中、傘を差して平和湯へと向かう。
住所を頼りに歩いてゆくと、やがて薄闇に包まれた路地裏に、“サウナ ヘイワ”と書かれた電光看板が見えた。
やや老朽化したビル型銭湯。入り口には、日本堤消防署名が記された、“火の用心”の暖簾が下がっていた。

早速履物を下足箱に入れ、ポケットから取り出した湯銭を番台に置いた。
雨が影響しているのか、それとも他に何か原因があるのか、客はオレひとりだ。
脱衣場にはタイルの飾り柱があり、レトロな風情を漂わせている。
豪快に服を脱ぎ捨てて、浴場へと続くガラス戸を開けると、銭湯特有の湿気が体に纏わりついてきた。
壁絵の変わりに、素っ気ない白タイルが貼られている。潔いほどに飾り気のない浴場だ。
外壁にサウナの看板が出ていたが、浴場内を見渡してもサウナらしきものはない。
まあしかし、そんなことはどうでもよかった。問題は地獄の釜と称される熱い湯だ。
印刷の剥げたケロリン桶を手にして、島カランの中央を陣取った。
まずは体を洗うこと。それは祖父から伝授された、銭湯民族の掟なのだ。
誰もいない浴場に、ジェット風呂の重低音が響いている。




さて、いよいよ入湯だ。
浴槽は2種類。左側に赤外線ジェット風呂と、右は深湯となっている。
黒々とした湯の底でゆらぐ、赤外線の赤い光が不気味だ。
浴槽の奥壁に、“熱い湯となっていますが、水を入れないでください”と書かれたプレートが貼られていた。
その横にある温度計の針が、50度のやや手前、49度あたりを指している。
確かに尋常な熱さではない。これまで数々の銭湯に入ってきたが、おそらくは最高ランクの熱湯だ。
下手をすると、これが我が人生における最後の銭湯になってしまう可能性もある。
オレは浴槽の淵に立ち、両手を合わせて目を閉じた。
躊躇していたらとてもじゃないが入れたものではない。ここはやはり、一気に飛び込んでしまうが良いだろう。
そんなことを考えながら、ゆっくりと左足を上げ、そのまま一気に浴槽に飛び込んだ。

「馬鹿野郎!」
湯に飛び込んだ瞬間、思わずそんな言葉が口をついて出た。
湯に入って馬鹿野郎。そんな感想は初めてだった。
熱いというよりは、むしろ痛い。
1、2、3、4……。
少し上ずった声で数を数えながら、とにかく10秒間を待った。
そして10秒後、飛び出すように浴槽から上がり、そのまま急いで冷たいシャワーを体に浴びせかけた。
まるで、一人で罰ゲームをやっているようなものだ。
鏡に映る我が身が、マグロのように赤い。
恐るべし地獄の釜……。

『平和湯』
東京都台東区今戸2-36-6
TEL 03-3873-6358