Vol.67 柳沢太貴――名物山小屋の若大将が語る「あの日、そしてこれから」

八ヶ岳が誇る山小屋「赤岳鉱泉」、四代目が登場

—-柳沢さんはお生まれは何年ですか?
柳沢●昭和63年ですね。ちなみに2月19日生まれです。
—-えーっと……(計算中)あ、24歳ですね。いいなあ、若くて(笑)。
柳沢●ははははは(ちょっと苦笑)。
—-柳沢さんは山小屋「赤岳鉱泉」の跡取り息子さんなわけですが、初代はおじいさんになるのですかね?
柳沢●初代は……これが実はですね、私で四代目になるんです。
—-え、そうなんですか!? おじいさんからなら普通は三代目になりますよね。
柳沢●「赤岳山荘」のおばちゃんがホントのところを知っていまして、ちょうど一年前に四代目と知りました。開設したのは社長の父、つまり私の父の父、そしてそのまた父なんですね。
で、社長のお父さんが初代になったのですが、忙しかったり病気でほとんど山小屋に入っていなかったときがあったんです。そのときに社長のおじいちゃん、つまり私のひいおじいちゃんが替わりに入っていた……ということらしいのですね。それで四代目と先日、教わりました。
—-はああ、なるほど。
柳沢●最初は営林署の宿場……言ってみれば飯場ですかね、そういった形で始まって、周りの木を切った後に飯場をそのままにしておくのもどうか、と。そんなことで始まって、いまの場所では54年目になりました。
—-54年目!
柳沢●実は開設当初はもう少し八ヶ岳の下のところにあったのですが、昭和34年に伊勢湾台風が来たんですね。それで流されてしまいまして。
—-山の上でも被害があったんですね……。
柳沢●その現場に居合わせたのが赤岳山荘のおじちゃん、おばちゃんと、社長の祖父だったんですね。で、おじちゃんとおばちゃんも間一髪で鉄砲水など水害から逃れたそうなんですが、ひいおじいちゃんはそのときに足を挟まれてしまい、それが元で破傷風で亡くなってしまった。それでみんなで相談して、少し上にあるいまの場所へ移ったそうです。
—-そういう経緯はありましたが、いまの場所だからこそ四季を通じて登山客が訪れていると感じますし、新装の場所選びとしては先見の明がありましたね。赤岳鉱泉があるおかげで安心して縦走などができる。
柳沢●アイスキャンディー(氷の壁。アイスクライミングに使う)もよく凍りますしね(笑)。50m下だったら、凍り方とか全然コンディションが違ったと思いますよ。


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雪の赤岳。この地に山小屋・赤岳鉱泉はある


日本4位のカートレーサーが"山"を決意した日

—-いまは未来ある三代目……いや四代目として私などもお客として接させていただいていますが、もともとは違う仕事というか、活動をされていたのですよね。

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柳沢●はい。
—-カーレースでしたっけ?
柳沢●はい、カーレースの中でもカートレースですね。6歳から18歳までやっていました。
—-では高校を卒業するまで……という感じですかね。
柳沢●そうですね。高校に入ったころまでは本当にレーサーになろうと思っていたんです。高校に入るときも、カートレースをするには金曜日から日曜日、金曜日は特に休まないとならないので、いわゆる"公欠"にしてくれるところを選んだんです。
—-高校野球で試合に行くから許可をもらってお休み、というような感じですね。
柳沢●それで山梨の日本航空高校に通ったんです。で、これはあくまで偶然なんですが、社長が行っていた高校でもあるんです。それで私が通うときの理事長が社長の担任の先生で……。
—-ウマい話になってきましたね(笑)。
柳沢●いや"裏口"とかじゃないですよ(笑)。すでに別の高校で「"公欠"にはならない」という結論をいただいていて、どうしようかな……と思っていたら、社長のところに高校から「寄付金のお願い」が届いたんですよ。で、それを見た社長が「そういえばこんな高校もあるな」ということで、実際に話をしに行ってみたらその場で「では願書をお持ちください」となったのですね。
—-それで無事にカートレーサーとして入学。
柳沢●それでいちおう高校3年生まではレースをしておりまして、全日本選手権にも進出して、ランキングも4位まで行ったんですけれどね。そのときのスポンサーさんが2社ありまして、1社が「チャンピオンになれなかったら翌年は支援できないですよ」とされていたんです。
—-はい。
柳沢●それでカートからは降りました。
—-キッパリ諦められた、と。
柳沢●はい。もともとあまりズルズルと物事を続けるほうではありませんし、夢ばっかり追っていてもなあ……とは思っていましたから(ニッコリ)。それと、3年生のときの全日本選手権が始まる4月、母が亡くなったんですね。
—-……。
柳沢●高校の時はレースを終わって帰って、言うなれば好き勝手やって文句言って……だったのですが、高校を卒業して車の整備士になろうと思って専門学校に行っているときに、母が亡くなってから社長が家事をしたり忙しくしていて……というのに気が付いたんですね。それで2年の夏くらいから整備士として就職活動を……などと考えていたのが、そんな社長の大変さを知って……カートもやらせてもらったし、恩返しなんて言葉ではないのですが、まだ整備士をやりたいなんてわがままを言ってもしょうがねえよな、って思いまして……。
—-はい……。
柳沢●それで専門学校2年の10月ですかね。これは鮮明に覚えているのですけれども、社長と二人でなぜかファミレスに行きまして(笑)、そこで「山で働きたい」と言ったんです。
—-社長は熱血漢ですから涙も……(笑)。
柳沢●いや、それはどうでしたかね(笑)。でも、まあ驚いてはいたと思いますよ。「ああ、そうか……」って感じでしたが、感情を表に出すのは苦手な人なので(笑)。
—-それまでに社長のほうから、それこそカートをやっている時分から「山で働けよ」というような話はなかったのですか?
柳沢●それはありませんでした。社長も自分で進むべき道は自分で決めてきた人ですからね。整備士を目指して専門学校に行くと決めたときも「お金は払うから、あとは自分で勉強しろ」というだけでしたね。まあそれに……
—-それに?
柳沢●私自身、それまでも小学校のときから週末は山に上がって手伝いをして……というのが日課でしたし、夏休みなんて半分は赤岳鉱泉にいましたしね。なのでそんな大型連休が……
—-楽しい?
柳沢●ユーウツでしょうがなかったんですよ、ははは(笑)。
—-その空気は社長も察していたかもわかりませんね。
柳沢●友達はみんな休みを満喫しているし、大型連休は家族でみんなで出かけたり……
—-家族みんなで山に行く、だったら柳沢さんもやってるんですけどね(笑)。
柳沢●ははは、たしかにそうですね(笑)。でもそのころはイヤでイヤでしょうがなかったですから。
—-……あれ、たしか弟さんもいらっしゃいましたよね?
柳沢●はい。ただまあ弟は「ホントに山は勘弁して」というところがありまして(笑)、いまは高校生ですが来年から東京の大学に行って、アパレル関係の起業をしたいと言っています。まあ、"売店マスター"として手伝いにはよく来ていますけれどね。
—-二年後にはファミレスで向かい合っているかもしれませんよ(笑)。
柳沢●ははははは、そうですね。そうかもしれません(ニッコリ)。


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「建っている場所が山というだけで、ホテルと山小屋はなんら変わらない」

—-お客の立場として、赤岳鉱泉はお食事から暖房からなにから、サービス面がすごく行き届いていて、それが毎回感心しますし、そして楽しみでもあるんです。

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食料などの荷物はヘリによって荷揚げされる

柳沢●ありがとうございます。一般論ですが、昔の山小屋って「お客さんを"泊めてやる"」とか、そういう感覚があると思うんです。しかし社長や私の考えとしては、観光地のホテルや旅館と山小屋はなんら変わらないと思うんです。単に建っている場所が山である、というだけで。当たり前なんでしょうが「お客さんをもてなす」、「すべてお客さんの視点に立つ」、それはしたいと思います。たとえば寒ければ温かくする、そんなところから……
—-いや、素晴らしい。
柳沢●他の山小屋さんを批判するわけではありませんが、その視点がない山小屋は残念ながら多いのが現状でしょう。
—-多いどころじゃないですよね(笑)。それにお客さんが「それで当たり前」と思っているところもありますね。
柳沢●ははは。
—-そんなサービス面や、1年を通じて利用できることを考えれば繁盛するのは当たり前のような気がします。別の場所へ行こうとしても山小屋がやっていなかったりしますし、また悪条件で登れなくても「とりあえず鉱泉、行くか」みたいな流れになりますしね。
柳沢●嬉しいですね。アイスキャンディーができたのも大きかったですかね。
—-そうですね。ジャンジャカ雪が降っていても、「鉱泉行けばキャンディーできるしね」となりますもの。
柳沢●あ、そうそう。キャンディーができたのは赤岳山荘のおばちゃんの発案なんですよ。
—-また山荘のおばちゃん登場(笑)。よく登場しますねえ。
柳沢●赤岳山荘にキャンディーあるじゃないですか。あれが周りではいちばん最初のキャンディー……つまりウチは二番煎じなんですね(笑)。とは言ってもですが、最近は行っていないのですが社長はたまにレスキューの訓練に行っていたんですよ。冬山のアイスクライミングなんかで事故が多いのは、混み合っていることで氷が落ちたりしてのもので、当然そこには避けられる上級者もいれば避けられない初心者もいる。それならば練習できる場所を……という意味合いもあります。
—-初心者にはホントにありがたいことです。最初にやってみるには最適だと思いますしね。
柳沢●はい。これは昨年、一昨年に気が付いたのですが、やはりアイスクライミングは敷居が高いというイメージがありますよね。ガイドさんや熟練者と来ないとできない、というような。
—-それはそうですね。私もそう思っていましたし。
柳沢●ところが最近は"山ガール"とか、いろいろ影響で若い人たちに山のレジャーが広まってきて、そういった人たちはアイスクライミングにけっこう興味を持っているようなんです。ウチでは毎週日曜日に「アイスクライミング体験会」ということで道具をすべて貸してやっているのですが、30歳代から40歳代を中心に意外に人が集まるのですよ。新しい試みでしたが、成功したのかな……とは思います。キャンディーは次のシーズンで10年目になりますから、またそういう新しいお客さんにも体験をしてもらえるように活動していきたいですね。


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2012年のアイスキャンディーフェスティバルの模様


四代目として4年、赤岳鉱泉のこれからと"喫緊"の課題?

—-手伝いではなくお仕事として赤岳鉱泉に関わるようになって4年が経ったわけですが……。

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柳沢●そうですね……まあ先ほども申し上げましたとおり、最初は特に山が好きだったわけではありませんし、「山で働きたい」とは言ってはみたものの、そんなに乗り気ではなかったのが正直なところでして……。
—-あらら(笑)。
柳沢●あ、イヤではなかったんですよ(笑)。もともと人と話したり、いろいろな出会いがあったりするのは好きですから、いまの仕事はもうそのままの仕事ですしね。それに、クライミングをやってみたりすると、カートをやっていたときと同じような……なんて言うのでしょう、"アドレナリン"や興奮を感じましてね。
—-出ますよね、アドレナリンは!
柳沢●はい、それもひとつのきっかけになりましたよね。それで常連さんに誘っていただいて登ってみたり、コミュニケーションを取っていくことで、「山の世界もいいなあ」と思うようになりました。いまはもう毎日毎日楽しいですし、山のこともわかってきて、好きに……なり始めているところです(笑)。
—-現場でお目にかかっても楽しそうですよ。
柳沢●ははは。でもいまだから言えますけれど、1年目は何度も「辞めたい……」って思っていました(笑)。後悔もかなりありましたよ。それだから社長との衝突もよくありましたし。ただ、いまになっては「この仕事でよかった」と思っています。昔からですが、一度決めたことは通したいという性分でもありますのでね。
—-歴史ある山小屋の四代目なんですからね。
柳沢●そうですね、四代目として引っ張っていきたいと思っています(ニッコリ)。
—-代替わりをされてから……というのではもちろんなく、赤岳鉱泉として今後こんなことを考えているという点はありますか?
柳沢●……まだ漠然とはしているのですけれども、そもそものレジャーとしての面だけでなく、健康志向の面からも山が"ブーム"と言われていますが、ブームではなく継続させていかないといけないとは思っています。若い人に山の楽しさをもっと伝えていかないと……30歳代や40歳代の人が段々と増えてきているとは思うのですが、たとえば20歳代の人にも伝えていくことも必要でしょうし。
—-中盤がようやく増えてきた感じですよね。でもやはり固定された年配者が多いですもんね。私は置いておくとして(笑)、60歳代や70歳代のお客さんも多い本郷博毅ガイドは最近「もう本郷ガイドではなく、お客さんへの本郷カイゴ(介護)だよ」と言っていますよ(笑)。
柳沢●そうなんですか(笑)。で、ちょっとだけ考えているのが……アイスクライミングってある意味でエクスストリーム(冒険)なスポーツじゃないですか。で、そういうスポーツをスポンサードしている会社があるのですね。名前はまだ出せないのですが、かなりスタイリッシュなイメージを持たれている会社です。そちらにスポンサードしてもらって、スノーボードの「X-GAME」のようなイベントを開く……見た目からという面は否定しませんが、そういった形で若い人を呼び込めたらいいですよね。
—-そうですよね。氷をよじ登るというのは初めて見た人にはインパクトもあると思いますし。
柳沢●赤岳鉱泉の売りであるアイスキャンディーという"素材"は社長がすでに用意してくれていたわけですから、そこから先でまた別の方向性を打ち出す……。山とか岩壁って、登らない人にとっては制覇するのがカッコいいというイメージはないですよね。泥臭いイメージ……と言ったら言い過ぎかとは思いますが(笑)。友達に聞いても「カッコ……よくはない(笑)」みたいな感じですし。
—-そうなんですかねえ。なんか残念……。
柳沢●これは昨シーズンに2回目を行なうことができた「アイスキャンディー・フェスティバル」なんかもそうですよね。そういったイベントを赤岳鉱泉で行なうことで、これまで縁がなかった人にも伝わってくれたら嬉しいですし。
—-フェスティバルはいっぱい参加者もいましたし、バーベキューなんかもすごい豪華でしたしね。あれ赤字じゃないかしら(笑)。
柳沢●ははは、まあお客さんが喜んでいただけるのでしたら(笑)。フェスティバルや、そのイベントにしても、アイスキャンディーを使って若者受けするようなことができればとも思いはありますね。イベントに関してはまだあくまで案であり、話し合いをしているという段階ですけれどね。
—-うまくいくことをお祈りしていますよ。
柳沢●ありがとうございます。あと、個人的な願望としては、山業界で名前が知れ渡っている山小屋に今後行ってみたいというのはあります。
—-赤岳鉱泉の評判がとてもいい現状でも、そこに満足しないわけですね。
柳沢●私は立山にも1回しか行ったことがないですし、知っているのはこの八ヶ岳だけと言っても大袈裟じゃないんですよ。なので、そういったいろいろな山や山小屋にこれから行ってみたいですね。
—-どうもありがとうございました。あ、でも喫緊な課題もひとつありませんか?
柳沢●はい?
—-"嫁取りと五代目"という課題がありますわよ(おばちゃん発言)。
柳沢●ははははははははは。それでは「募集中」ということで(笑)。
—-ご覧のとおりの二枚目だからみなさんご連絡をよろしく(笑)。ごめんなさい、ホントにありがとうございました。
柳沢●はい。またお待ちしております!

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構成・松本伸也(asobist編集部)

 


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【プロフィール】
柳沢太貴
1988年山梨県生まれ。八ヶ岳山麓の山小屋「赤岳鉱泉」四代目。
カートレーサーとして過ごした高校時代、整備士を目指した専門学校時代を経て稼業と言うべき赤岳鉱泉へ。現社長である父とともに、登山やクライミングに新風を呼び込むべく年中無休で活動中。

ホームページ:http://www.alles.or.jp/~akadake/

 

 

 

夏は登山、冬はアイスクライミング――
一年中客足が途絶えない八ヶ岳山麓に、名物と呼ぶべき山小屋がある。
その名は「赤岳鉱泉」。
多くの山小屋で忘れ去られがちな、充実の“ホスピタリティ”を提供し続けるこの山小屋に、
次代のエースがやってきた。
“鉱泉の若大将”が語る、働く決意をさせた家族の絆、そして赤岳鉱泉の次の一手とは?
さあ読んでくれ!