※前回へ
それからまた三週間ほどが経ち、病気が治ったごんた君が、久しぶりに保育園にきました。
でも、出会っても気付かない様子で、かすみのかかったような目をして、ぼーっと無表情のまま通り過ぎていきました。
その後、廊下からガラス越しに見えるごんた君は、びくびくおどおどしていて、すっかり元気がありません。めそめそ泣いて先生の後ろに隠れてばかり。スカートにつかまって離れないのでした。
やがていつのまにか夏が来ていました。
夕方になると、園児たちはおうちの人と喜んで帰っていきます。ここのところ、遅帰りの続いているごんた君はふらっと外に出ました。
「あぶないっ! どこ行くのっ!!」
先生が驚いて引き戻し、ごんた君を抱きしめました。
「車にひかれたらどうするのっ。ごんた君がいなくなったりケガをしたりしたら、みんなもお父さんも心配するでしょう?」
「はなせっ! ひとりでおうちにかえるんだ。お父ちゃん、しんぱいなんかしないもん。ぼくはいつだってひとりでなんでもしてるんだ。よるだって、ひとりでおふとんしいてねてるんだ。だからひとりでおうちにかえれるもん。ぼくのこと、だれもしんぱいなんかしてないもん。ぼくなんて、くるまにひかれてどうなってもいいもん。
はなせっ! はなせーっ! あんなお父ちゃんなんかきらいだーっ! う、うわあーん!!」
ごんた君は、必死になって、先生の腕から逃れようと暴れました。けれど、ごんた君は、もっと強く強く抱きしめられました。
あくる日も、ごんた君は夕方になると外へ飛び出しました。
「誰かーっ。つかまえてえーっ!」
あわてて先生が追いかけます。ごんた君は一目散に逃げて、先生も一目散に追いかけてつかまえました。
こうして毎日毎日、ごんた君は夕方になると逃げだして、先生はごんた君を追いかけました。
ある日の夕方、いつものように外へ飛び出したごんた君でしたが、先生が追いかけてきたのをちらっと見て、ひょいと曲がってホールへ向かって一目散。すかさず先生も追っかけて、ホールをぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる回ったあげく、とうとうごんた君はつかまりました。
先生に優しく抱きあげられて、頭をいとおしそうになでられました。ごんた君は、そのままじっとしていました。
次の日の夕方。ごんた君はホールの前にいました。そして、
「ああ! みんなきてるなあ!」
嬉しそうにそう言うと、勢いよくその中へ入っていきました。
こうして夏の終わりが近づいた日、トイレ掃除をしていると、ごんた君が私の前に来て、神妙な顔で両手をひざに当て、
「あのう……ごめんなさい」
そう言ってふかぶかと頭を下げました。
それから、手を口にあてて、くすくすっと笑って首をすくめて言いました。
「トイレ、かしてもらっていいですか?」
「はい、どうぞ」
トイレをすませると、ごんた君は大きな声で、
「あ、り、が、と、う、ございましたあー」
と言いました。
「ねえ、ハルせんせいは、どうして、いつもおそうじばかりしているの?」
「おそうじがおしごとだからよ」
「ふうーん。あっ! やっぱりおそうじマンだー」
ごんた君は、ねっ、そうでしょと言わんばかりに、にこにこ笑いました。
でも、もう言わないよ、とそんな顔にも見えました。私は「そうね」と言って、違いないと思い、にこっと笑い返しました。そして、自分から進んで謝りに来たごんた君の勇気を見習わなくては、と思いましたが、やはりまた何も言えませんでした。
ごんた君がくすっと笑ったので、私もくすっと笑って、二人で顔を見合わせて笑いました。
ごんた君は、晴れ晴れとした顔をして、スキップをして戻っていきました。(つづく)
絵・稲葉 美也子