初恋話しが3度目というのもおかしな話じゃあないか、とはおしゃいますな。
そもそも「恋」なんぞと呼べるものに、そうそう出会うわけはないんである。幼稚園だの小学生中学時代のそれらしきは、あくまでもその予行演習・前哨戦のようなもの。
そこはそれ「邪念」「邪心」「疑心」などなどヨコシマを心に持つようにもなり始め、DNAに組み込まれた「種の保存本能」が明らかに顕在化してきて心身を 突き動かしたりするようにもなり始める。すなわち「発情」の兆しを内側に押し込めようと「恥」の念が抗う「葛藤」の時代からが、ほんとうに「恋」と呼べる のではないか。
なんてのは、言えば「へ」理屈で、こっ恥かしい話を1度ならず、2度はおろか3度目もしようかってえ、言い訳なんではある。
高校生のころの話である。さとるちゃん、ひろっちゃんの時とは同じようにはいかない。生々しさが増してくると、こっ恥ずかしさも増大する。いやいや書き出す前から手のひらがベタつくわ。
3年間の戦績は3戦3敗1引き分け。選んだ相手がいけなかったのか、単にモテなかったのかは本人の口からはいいにくい。ん?
1年生の時、クラスの仲良し連でしばしばアイススケートのアリーナにでかけた。学校が京王線沿線だったこともあり、当時新宿歌舞伎町にあったアリーナにでかけたのだ。
男子、女子数人ずつででかけた。「カップル」など意識していないはずが、どういうわけか男子と女子の割合は半々だったように記憶している。
小学生のころからアイススケートが大好きで、さんざんぱらアリーナに通った。しまいには、親にねだり倒してマイシューズを買ってもらったほどだった。だから、滑るのは得意な方だった。
同じようにかなりきれいにフィギャースケイティングする男子がいた。
どちらから誘うともなく、いつのまにか手をつないで滑っていた。横並びで滑るときは内側が外側を滑る方のクロスステップを誘導したり、縦並びの時は、一人がバックスケティィングのナビをしたり、それは楽しかった。
「男子」はまた、音楽が好きだった。私とてクラシック音楽は好きだったが、ピエール・ランパルのフルートがどうの、ミンシュとミュッヘンガーのフレージン グがどうだこうだ、「男子」の薀蓄に耳を傾け、同じようにバッハのバロックやブラームスのシンフォニーが好きになった。そうそう、バーブラ・ストライザン ドを教えてくれたのも「男子」だった。
グループでアリーナへ遊びに行くたびに、手をつないで滑ったり、音楽の話をしたりするのが、ただただ、楽しかった。私は。
ところが、ある時から「男子」にとってはある種の「重し」になったようだった。つまり、傍から見れば「カップル」状態そのもがやや疎ましくなっていた。
「楽しい時ばかりじゃない」などグループの「女子」を通して謎をかけられても、その辺、アタシは極めて鈍感だった。「男子」が特別な感情を持つ「女子」を胸中に秘めているとは、ちっとも気がつかなかった。
「楽しい時ばかりじゃない」に対して「それでは自分はあなたにとって必要な存在なのか否か」など愚かな質問を返した。答えは言わずもがな。早い話がフラレたとはじめて気がついたというわけだ。まあ、そのころから既に理屈っぽかったのね、アタシ。
そういう結末については、断然納得できなかったほど、楽しかった。だから、とても悲しかった。数十年経って、同期会で再会したりしても、当時のことの成り行きを「男子」が同じように解釈していたかどうか、未だに聞いたことはない。
下手に聞いて「かなりのおしつけがまし屋さんだったからね」など言われたくはないしー。そう言われる気がするの、実は。構わずどんどこ出ていくタイプ。最も男子に敬遠される部類だったと思うのよねー。
ホロリと苦く、すうっと切なく、けれど遠い昔の楽しい思い出である。
たとえば親たちが好んだ「菜の花」の浸しや、木の芽炊きにチロッと入っている山椒の粒。それまで、ちっとも好きじゃなかったのが「旨い」と感じ始めた「大人の入り口」に立った、そんな時期だった気がする。
今は歌舞伎町のあの場所にはスケートアリーナはもう存在していない。確か、ミラノボールとかいうボーリング場になっているはず。もしかしたら、それも変わってしまっているかもしれない。
2戦目の話はこの次…