真夏の方程式

一編の小説が映像化される――それは、読み手の側からすると少しばかり、いや、けっこうなざわめきを心に覚える。

自分の頭の中で具現化した主人公が、自分が思い描く風景の中で行動し、そして喋る。これは小説を読む上での醍醐味のひとつだと思うが、それが第三者の手によって具体化されてしまうのである。たとえば頭の中では戸田恵梨香であった主人公Aが、作られた映像では戸田奈津子になっていたりするのである。いや、さすがに翻訳家・戸田奈津子ではなく、そうだな、戸田菜穂(出任せだったが、年代を除けばタイプが近い気もする)だったとしても「えー、全然イメージが違うっ」となることは思っている以上によくある。また、12回くらいの連続ドラマならばまだしも2時間ドラマや映画になるといった場合、ちゃんと原作のストーリーが網羅されているかも気にもなる。以前、『優駿 』という映画を観てガッカリした後、宮本輝の原作本 を読んでみたら、こんなに深い話だったのかと驚いたことがある。映画版、薄いことこのうえなかったしね(笑)。
このような観点から、日ごろから小説の映像化はあまり望んでいないのだが、この一冊は読み終えた後から珍しく「映像で見てみたいな」と思ったものだった。福山雅治演じる主人公が、いったいどのような活躍を見せてくれるのか――そう思っていた矢先に来夏の映画公開が発表されたのも縁だろう。

その一冊、『真夏の方程式』。

東野圭吾の原作で、物理学准教授の湯川学を主人公とする“ガリレオ”シリーズ。福山雅治が湯川に扮する連続ドラマ や映画としてもおなじみである。
シリーズ6作目、長編3作目となる本作は、物語の鍵となる小学5年生・柄崎恭平と湯川が、偶然にも同じ列車で海の街・玻璃ヶ浦へやってくるところから始まる。寂れてしまった観光地である玻璃ヶ浦だが、沖合で海底資源が開発の話が持ち上がり、その説明会に開発会社の側から招かれた湯川。そして恭平は実家の多忙から叔父の経営する民宿「緑岩荘」へやってきたが、緑岩荘の一人娘・川畑成美は美しい海を守るために開発には反対している。そんな中、緑岩荘に宿を取り、開発の説明会で成美に微笑んだ紳士が死体となって岸壁で見つかった……。
ここから「科学技術と環境保護」を下敷きに、紳士の死が過去のさまざまな事件と絡み合いつつ確信へと向かっていくのだが、当シリーズを知っている人だとその展開の仕方にちょっと驚く。
「湯川と大学時代に同窓だった警視庁の草薙俊平や、同僚の内海薫が湯川を訪ねるところから始まり、渋々ながら自分の興味の向く方向から事件の真相を究明していく」
これまではおおむねそんな流れであるのだが、今回は東京からの草薙の電話一本で協力の姿勢を示し、また電話の以前にすでに事件に興味を持ち始めている。さらに管轄外ということで、東京で“別件”を捜査する草薙と内海とはほとんど合流しない。前作までとはこの点が大きく違う。
もうひとつ。「子供嫌い」とされている湯川が、結局のところ緑岩荘に宿泊することになったことから、恭平とさまざまな行動をともにする。食事のときの科学的な問答や、夏休みの宿題を教えたり、連れだって岸壁で実験を行なう様子などが、湯川らしいやりとりで書かれている。もちろんその中には確信へのヒントがちりばめられているのだが、理屈っぽい湯川とひねつつも素直な恭平のやりとりがとても楽しい。随所に語られる海の美しさもさることながら、この湯川と恭平の様子も「映像で見てみたい」と思った大きな所以である。

なぜ湯川は事件に興味を持ったのか、そして恭平と行動をともにし続けるのか。そこには「現代で起きた事件」から繋がる「過去の大きなできごと」と「未来への責任」が大きく関わっている。果たしてそこが来夏公開の映画で描ききることができるか――映像化に複雑な思いを抱く向きにはそこがいちばん気になるところだが、実のところ、連続ドラマでも、映画『容疑者Xの献身 』でも、テーマをしっかり描いてきたスタッフによる作品だけに、そこはあまり心配をしていない。
結末を知ってしまう、ということよりも、きれいな海たちや大きなテーマ群とともに“福山湯川”の言動をより楽しむために、公開までに必読の一冊、であろう。

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作者名:東野 圭吾
ジャンル:ミステリー
出版:文藝春秋

真夏の方程式