ババババッ!バリバリバリバリッ!!
数日前から時々聞こえていた爆竹の爆裂音が激しくなり、ついには紅白歌合戦の中国版番組「春節聯歓晩会」の音も聞こえなくなる。大晦日の夕食頃から、いよいよ中国の旧正月の前夜祭が始まったのだ。
爆竹は幸福を願うもので、宋代の詩人王安石が「爆竹声中一歳除 春風送暖入屠蘇(爆竹が鳴り響くなかで新年を迎えた。春の暖かい風が送られて屠蘇に入る。)」と詠むように、1000年以上も続く伝統的習慣。旧正月の期間の中でも大晦日は特に激しく、一回で1000発が弾ける爆竹が嵐のように鳴り響き、さらには花火大会級の花火までもが街中で打ちあげられる。
公園、ホテルの玄関、路地、マンションが密集する住宅街。驚くことに、打ちあげているのは個人で、そこでもここでも、ヒュルヒュル、ドンッドンッ。油断していると、倒れた花火筒から花火が水平に飛んできたりして、その激しさには恐怖すら感じるほど。「派手にやるぞー!」と、爆竹2000発と噴出し花火(!)を準備していた僕なんて、もう、お子様以下なのであった。
手作り餃子。
手早いのにキレイな出来栄え。
僕がお邪魔した家庭は、そんな轟音を気にも介さず、年越しの餃子作りを淡々と開始。広い中国のこと、大晦日やお正月の食習慣は地域や家庭でいろいろなのだが、北部出身のこの家庭では、年越し蕎麦的に水餃子を食べる習慣がある。もちろん皮から手作りで、小麦粉をこね、ちぎり、薄く伸ばして具を巻いてゆく。
「日本でもやってます!」と意気込んで巻き係を申し出た僕だったが、なんだか勝手が違う。あまりの不器用さに呆れられ、麺棒で小麦粉を伸ばす皮係を経て、最後はカメラ係という餃子作りに無関係の閑職にまで自主降格。
豆板醤。
ちなみに、この“豆”
とはソラマメのこと。
皆さんの餃子作りの腕をみていると、それはもう職人のごとき巧みさで、「さすがだ!」と餃子の国の伝統に舌を巻いたのであった。
そうしてできた職人餃子はじっくりと茹でるのだが、餃子をお湯に入れる前に、なぜか爆竹を鳴らす習慣があるらしい。友人は「今から餃子を食べるということを皆に知らせるため」というが、それを知らせる目的が何かはイマイチ分からない。とにかく、茹で上がった餃子は黒酢でいただく。
黒酢にはニンニクのみじん切りや豆板醤を入れても美味い。餃子は日本ではご飯のおかずにするけれど、中国では主食。日本のものとは違って皮が厚く、一つ一つにボリュームがある。そして面白いのは、蕎麦湯と同じ感覚で餃子の茹で汁を飲むこと。餃子の消化を良くするとされ、お店でも頼めば出てくるのだとか。
水餃子。黒酢と茹で汁と共に。
炸裂、爆竹1000発!
水餃子をいただいたあとは、カウントダウンイベントがあるらしいという噂を聞き、上海の観光名所である外灘へ。大混雑ではないが、羊串やイカを焼く屋台や今年の十二支である牛グッズを売る人もいてそれなりの賑わい。屋台を順々にひやかした後は、
羊串の屋台。ソーセージや野菜串もある。
好きなものを選ぶと焼いてくれる。
諸葛孔明が発明したとされる熱気球“孔明灯”が、願いを乗せて夜空を昇っていく様子を眺めながら新年を待つ。
ところが、0時が近づいても、いっこうにカウントダウンが始まる気配がない。訝しがっていると、突然、街のあちこちから花火と爆竹の轟音。外灘の対岸、黄浦河の向こうの浦東地区でも一斉に花火が上がり、美しい夜景にさらなる彩が添えられる。「こ、これは、もしや・・・明けちゃいました!?」。同行の友人たちと苦笑いの挨拶を交わし、劇的上海の爆裂大晦日があっけなく幕を閉じたのであった。