“あの”スイス氷河鉄道の取り持った大きな出会い

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素敵なコペンハーゲンの運河
以前のこと。
某大手旅行社が発行するタブロイド紙で紹介したウィーンの記事が好評で、次回は海外で有名な鉄道を紹介する記事を書かないかと言われたことがある。そのとき迷わず、スイスの氷河特急の取材を申し込んだ。
カメラマン同行の豪華な旅!
ガイドブックやスイスの関連書を山ほどネットで注文して、勤務先のオペラ座で渋る上司を説得してやっと取れたクリスマス休暇。ところが、経費の都合でドタキャンになったと編集者から連絡が。
「え〜、せっかく取れた休暇なのにィ」とショックは大きい……。

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愛を語るにふさわしいロケーション
では、取ってしまった休暇をどうしようか。渋った上司は近くに住んでいるので、市内にいてバッタリ出くわしたら大変。というわけで、ドイツのケルンにいる80歳の友人を訪ねることにした。写真家の彼女は一人暮らしだから、クリスマスに行っても嬉々として迎えてくれる。ついでにと言ってはなんだが、独身商社マンの友人も食事に誘うか? と、切り替えが早い私はもうドイツの旅支度に心が浮き立っていた ケルンでは楽しい時を過ごし、隣町のデュッセルドルフでは日本の友人と和食レストランで1時間ほど食事をした。お互いにメールだけでお話をしてかれこれ3年目。初めて会う気がしなかった。週末はゆっくり会うことに決めて別れた。
もう私がウィーンに帰る前の日の週末になった。なぜか夏の旅行先の話になって、「北欧に最近妙に惹かれる」と言うと彼も同じ意見だった。単純に一緒に行こうと約束した。

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甘い将来はドルチェと共に
次の夏。コペンハーゲンの飛行場で落ち合い10日ほどの旅が始まった。旅の前は旅行の詳しい相談もあり、ドイツ・オーストリア間をインターネット電話のスカイプを繋いでのお喋りの日々。年甲斐もなく浮き足がたっていた。

あと二日でお互いの家に帰るというころ、夕焼けの素晴らしいコペンハーゲンの運河にて彼はプロポーズをした。私の前夫も他界していることや、大学生のふたりの子どもがいることなどすべて承知の上で。そして急に11月から日本へ赴任が決まってしまい、出来たら一緒に来てほしいと言われた。 35年海外生活をしていた私が、今さら東京で生活?と、 100810_05_04.jpg
さよなら、ヨーロッパ!
予期せぬ出来事で目まいがしたが、秋にその答えを子どもたちと相談して出した。帰国前に婚約指輪を買いに1泊のせわしないウィーン滞在。9年いた職場を同僚に散々からかわれて寿退社した私。

そしていま、私は東京の新居で暮らし始めた。新居はやはり運河沿い。
もし氷河特急の取材がボツなっていなければ、新たな出会いはなかった。
そんな運命の力強さに感服しながら、私は氷河特急の事故のニュースを見つめていた。