同じ精神を受け継ぐ「卒業生」たち


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もう遥か昔のこと。
関西育ちの私が初めて東京に出たのは、まだ桜が咲き始める前だったろうか。希望と期待に胸を膨らませていた、ただの怖いもの知らずだったあのころを懐かしく思い出す。


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2月の寒空に凛と咲く美しい寒緋桜。次回はぜひ名古屋にも足を運びたい

就職が決まったその会社は、学生時代に数カ月間アルバイトをしていたこともあり、入社直後は「営業なんて簡単」などとずいぶん生意気なことを考えていたものだ。しかし世間は広く、そして厳しかった。自分がいかに小さく平凡な人間であるかを、嫌というほど思い知らされた。それでも毎日がとても楽しく、感動と刺激に満ちていた。


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2年ぶりの一時帰国を肴に、
東京の友人宅で飲み明かした翌日。
遠くには富士山が

その後、転勤族だった夫と結婚。彼の異動に伴って東京から名古屋、そして大阪へと移り住んだ。仕事を続けたかった私はその都度上司に異動願いを出した。社外の人間と結婚した一社員の勝手な希望を受け入れてくれたその懐の深さには、今でも深く感謝している。

29歳の時、夫が再び東京に異動となった。これからは海外への仕事も増えるし、そのうち海外赴任もあるという。私は退職願いを提出し、7年間を目一杯過ごしたその会社を後にしたのだった。

あれから十数年が経つが、今でも当時のメンバーとの交流は続いている。ちょうど先月2年ぶりに一時帰国をしたのだが、その時も東京と大阪で飲み会を開催してもらった。新人時代からの同期に加え、お世話になった先輩や上司、そして後輩まで、懐かしい面々が揃う。それにしてもみな日本にいるというのに、しかもその半数はまだ引き続きあの会社に勤めているというのに、私以上に「おー、久しぶり、元気だった?」と互いに声を交わしている様子が何やらおかしい。どうも日本人は忙しすぎるようだ。また次の一時帰国時に集まることを約束して、その場はお開きとなった。


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大阪ではおでん屋へ。
あれこれとご馳走になったのに、
手元にある写真と言えば酔う前に食べたこの一品のみ

ちなみにその会社では、退職することを「卒業する」という。それは会社を単なる金稼ぎの場でなく、自己実現の場と捉えている人が多いからだ。今でも誰かがFacebookで退職する旨を伝えると、お返しに「卒業おめでとう」というコメントが書き込まれる。退職後にまったく違う人生を歩んでいても、「卒業生」として共通の話題に花を咲かせることも少なくない。この愛すべき社風を生んだ創業者は残念ながらもうこの世にはいないが、彼が唱えた「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という精神は、これからも連綿と受け継がれていくことだろう。