日本のF1ファンは毎年、秋が近づくと気分がワクワクして落ち着かない。年に一度、F1が日本にやってくる、三重県の鈴鹿サーキットで「日本グランプリ(GP)」が開催されるからだ。
鈴鹿にF1が戻ってきた2009年。
「おかえり」ムードがサーキット中を包んだ
鈴鹿での日本GPがスタートしたのは1987年。エンジンを供給していたホンダやアイルトン・セナの活躍、中嶋悟のフル参戦などもあって瞬く間に日本中が"F1ブーム"になった。
自分が初めてF1をテレビで観たのが91年イタリアGP。超高速サーキットとして知られるモンツァで、セナとナイジェル・マンセルが激しいバトルを繰り広げたシーンに釘付けになり、一気にF1ファンに。93年日本GP、初めてF1を生で観た時の感動は今でも忘れられない。F1マシンの甲高いエンジン音、目の前を時速300kmであっという間に駆け抜けていくスピード感、スタンドを埋め尽くす超満員の観客、セナの優勝……だが翌94年、サンマリノGPでセナが事故死した後、日本のF1ブームは緩やかに下降線を辿り始めた。
:日本におけるモータースポーツの“聖地”
今年50周年を迎えた鈴鹿サーキット
セナファンだった自分にとって、あの事故は大ショックだった。のちにイタリア・イモラサーキットの事故現場まで足を運んだほどだ。だが当時、自分のF1に対する情熱は冷めることなく、鈴鹿にせっせと通い続けた。ブーム時は観戦チケットがプラチナ化していたのに、決勝日の当日券まで販売される状況になってファン同士で「観戦チケットが取りやすくなってラクだよね」などと話していたことも。
プロ野球やJリーグなどと異なり、F1が日本でライブ観戦できるのは日本GPしかない。つまり、F1ファンにとって年に一度のチャンス。スポーツは現地観戦に勝るものはない。長年のファンにとって、年に一度の祭りと同様、「鈴鹿にF1を観に行く」のが "習慣"なのだ。
そんな中、表彰台が狙える日本人選手が登場した。佐藤琢磨だ。2002年の日本GPで5位、03年6位、04年4位と3年連続で入賞。空席が目立ちつつあった鈴鹿に観客が増え始め、再びサーキットが熱気に包まれた。
だが、06年を最後に、日本GPが静岡県の富士スピードウェイに移った。15年に渡って数々の熱いバトルが繰り広げられてきた鈴鹿サーキットこそ、F1ファンにとって"聖地"。06年、現地で観戦した後、「もう鈴鹿でF1が観られないのか……」と思うと、自分の心にポッカリ穴が開いた気分になった。
F1日本GPは毎年10月に開催。
日本全国から多くのF1ファンが鈴鹿に集まる
09年、鈴鹿にF1が戻ってきた。富士を運営するトヨタがF1事業から撤退したことなどが理由だが、サーキット中に掲げられていた『ただいま鈴鹿 おかえり日本グランプリ』の如く、ファンの間では歓迎ムードが大きかった。
今年2012年、小林可夢偉が3位表彰台に立った。日本GPでの日本人選手の表彰台獲得は、90年の鈴木亜久里以来28年ぶりで、現地は大いに盛り上がった。可夢偉のがんばりはもちろん、日本GPで日本人が表彰台に立ったのを現地で観ることができたファンにとって、年に一度だからこそ、最高の思い出になったはずだ。
毎年、10万人ほどが足を運ぶF1日本GPは、ファンにとって年中行事、ある種の"お祭り"に近い。レース以外に、イベント、ショッピング、さらに(サーキットに併設する)遊園地までいろいろ楽しめる。F1ファンにとって年に一度の祭典、日本GPをぜひ一度、現地で"体感"してみて欲しい。