なぜやってくる2月29日――いまごろに閏年の謎

単なる偶然でしかないのだが、6月に入り知人友人から身内まで、誕生日を迎えた人が周辺にかなりいる。そんなことからふとこんな漫画のネタを思い出した。「息子が10歳の誕生日を迎えたが、その父親も同じく10歳だという。調べてみると父親は実際には40歳なのだが、閏年(うるうどし)である2月29日の生まれだったので誕生日当日はまだ10回しか来たことがない……」という内容。この父親について補足をしておくと、誕生日当日こそなかなか来ないけれども、もちろん40歳であって10歳ではない。4月1日に書いた『4月1日生まれの同級生』と同様に、“2月28日24時に年齢を加算する”と解釈して、2月29日が存在しなくても歳を取ることになる。

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てなわけで閏年。次回は2012年だが、
4で割り切れるはずの2100年は閏年ではない。
それはなぜ?
今回はそんな閏年=2月29日の存在についてのおはなし。なぜこんな時期に、という疑問はなしでお願いいたします(注・フリでもございません)。
地球は1回転するごとに1日として太陽の周りを回っている。その1周の間に地球は365回転し、これが1年=365日の根拠となっている。ところが、実際に太陽と地球の公転周期を調べてみると、これが365日よりも少し長い。2008年発行の『天文年鑑』によると「365日と5時間48分45.205秒」であり、この約6時間のフローが4年集まって1日分、そう調整するために閏年がやってくるのである。

約6時間×4回=約24時間=1日ということで、4年に一度2月29日が設けられるわけだが、お気づきのように実際には6時間よりもフロー分は短いのだから、不足分の約12分×4回=約48分が今度はストックされる。つまり、閏年の度に約48分が1年から足りなくなっていくのである。
ということはいずれは365日でも366日でもない、364日の年ができるのではないか……となるが、もちろんその事態も想定されている。現在の太陽暦の基になっている「グレゴリオ暦」では「400年に97回の閏年がある」としており、同時に「西暦が4で割り切れる年は閏年であり、また、100で割り切れる年は平年であるが、400で割り切れる年は閏年である」との規定がある。基本として4で割り切れる年は閏年だが、4で割り切れるが100でも割り切れる年は閏年ではなく(2100年など)、4でも100でも割り切れるがさらに400でも割り切れる場合は閏年になる(2000年など)。これによってストック分を消化しているのである。

ところで、我が国では明治31年に『閏年ニ関スル件』という勅令が出されている。グレゴリオ暦の採用自体は明治5年(1872年)のことだったが、採用が公布された11月からわずか1カ月で正月(旧暦の明治5年12月3日が明治6年1月1日となった)を迎えることから官民を挙げて混乱した結果、上記の「100で割り切れても400でも割り切れる年は閏年である」という規定が抜けていたのである。これでは後々にグレゴリオ暦の閏年の設置とは異なる解釈になってしまうことから、改めて勅令が出されたのだ。
なお、この勅令は西暦ではなく、初代天皇である神武天皇が即位した年を元年とする神武天皇即位紀元(皇紀)によって閏年を算出する根拠を示している。皇紀の元年は紀元前660年(つまり今年は皇紀2671年)とされていることから、「4で割り切れる皇紀年数は閏年だが、4で割り切れても皇紀年数から660を引き(つまり西暦)、それを100で割って割り切れ、かつその答えが4でも割り切れる場合は平年である」としている。皇紀を使用したややこしい書き方ではあるが、読んでみれば算出方法はグレゴリオ暦版と同様である。