2014/09/20
C1、5650m→BCベースキャンプBace Camp5070m→チュクンChhukhung4730m→ディンボチェDingboche4410m
さて下山である。
C1からディンボチェまで一気に標高差1240mを下るのだ。
軽い頭痛がしてロキソニンを服用しての出立。頭痛は道々行くうちに消失したが、少し胃のあたりがムカツク。それがチュクンで恐る恐る軽食したら、返ってむかつきがケロリと治ってしまった
なーんだ、腹減ってっただけか〜。
なにせ、めちゃスローペースではあっても曲りなりでも、3年越し、三度目のトライで念願の6000m峰、アイランドピークに登頂できたんである。実に人は気分の産物で、心が軽いと身も軽い心地になるんである。
だしまあ、どんどん標高を落としていくんだから、身体は徐々に徐々に楽になる。
往路ではディンボチェあたりから食欲がなくなって、チュクンではスープをようやく無理矢理飲み込む感じだったのが、復路ではチュクンで腹減り過ぎて却ってむかついて、むしろ食べて治ったりする。
往路のデインボチェでは、ヤクステーキをモリモリ食べている篠原ガイドの隣で、ご飯を前に血気の失せた顔でげんなりしてたんだが、復路では私もヤクステーキをモリモリ!
その違いっぷりには自分でも笑ってしまう。
ただね〜、鼻の痛いのは治らないのよ。膿鼻汁こそ出なくなってはいるが、鼻汁溜まった感で鼻をかむと、チリッと血の塊が混じる。
これには要らぬ心配も増大してしまう。アジア圏へ旅する時気を付けることの一つに「水」があるんだが、細菌感染に伴う中毒や下痢の原因になるとして、「生水摂取しないこと」というのは恐らく常識となっているだろう。水はペットボトルを買う。決して蛇口から出る水は飲まない。レストランでもペットボトルを注文する。
どんなにキレイそうに澄んだものでも「山水」も摂取してはいけない。摂取だけでなく、足や手を浸すことすら控えるべき、とは大事な注意事項である。なぜなら、日本ではすでに撲滅されたような寄生虫の類が一見きれいに見える山水にも混在している可能性があるからだ。
その注意すべき2項目は確かに厳守した。だが、どうしても拭いきれない疑問が残るんである。すなわち、ヤクやゾッキョやドンキーがひずめでもって舞い上げた黄色いきなこ状の砂粉末ホコリに、もしかしたら、よからぬ虫の卵なんぞが混じっていたんじゃなかろうか、と心配になってきたんである。
杞憂とは承知だが、よからぬ虫どもの卵が鼻腔深く侵入して、挙句の果てに増殖してたりするんじゃなかろか、そのウジャウジャなど妄想逞しくしては、勝手に身震いしてたりするんである。
ぶるるるる〜ッ!!!
オー! ノーッ!!!
ディンボチェ到着時点で2日ばかり予備日が残っていた。そこで、せっかくだからカラパタールへ上がってみようということになっていた。エベレスト登山許可証を持たずしてはエベレストBCへは入れないから、カラパタールがエベレスト街道トレッキングの終着地なのだ。どうせここまで来たのなら、ちょっと足を延ばして、ぜひとも眼前に屹立する世界最高峰の山容を眺めてみよう、そういう計画だった。
20日時点での21日から先のスケジュール
21日…Dingboche4410mディンボチェ→ロブチェ(泊)
22日…Lobuche4910mロブチェ→KALAPATTAR5550mカラパタール→Lobuche4910mロブチェ
23日…Lobuche4910mロブチェ→LUKLA2840mルクラ(ヘリでフライト):ルクラ泊
24日…ルクラ泊(ヘリ予約が25日なので)
25日…LUKLA2840mルクラ→カトマンズ(小型飛行機)
2014/09/21
予定通りロブチェへ向かって歩き始める。
小一時間歩いただろうか、サーダーのパサンがボソリと言った。
「ロブチェからルクラまでのヘリは1500米ドル・キャッシュだが、カラパタールからの帰りではなく、前もって今日ロブチェに着いたらすぐに支払わなければならない」
篠原さんと私の目が四つの点になった瞬間だった。
米ドルって?!
そんなもん。。。
ねーがな?!
篠原さんのも私のも、余分なドルなんて、カトマンズのコスモトレックの金庫に入れてもらってきちゃっただよ〜。
パサンも持ってないッつうし……仕方ないよ。回れ右だよ。
ヘリに乗れないとなれば、どう考えてもカラパタールからの帰路の日程が確保できないんだから。カラパタールもなし。へリもなし。つまりルクラまでテコテコ歩いて降りるっきゃないのよ。
あああ、3日間ただひたすら歩くんだよ。ガッカリ〜。
よって……
21日の行程はDingboche4410mディンボチェ→Deboche3820mディボチェ。
やれやれ〜!
けれど、いいこともあった。
1時間ロブチェに向かった道をそのまま引き返さず、谷に降りて下道を行ったのだ。対岸に見えていた山並みと大地の交わる接線、こんなの今まで見たことがあったろうか? しかもその接線と同一面上を歩く格好になるんだよ。なんてステキ!
まさしく広大で雄大な大自然の間只中を悠々と歩く、そんな感じで胸がすく!!!
2014/09/22
Deboche3820mディボチェ→NAMCHE3440mナムチェ
ところで、往きに見かけた光景で「帰りには絶対、撮ろ!」と思ったのが集落で目にした村人の作業。
バッティーで暖房のためのストーブに使う燃料といえば、おおかたヤクの糞をせんべい状に乾燥させたものだった。
ところが、この集落の村人は、一旦乾燥したものか、収集したそのままかはわからないが、その糞をたらいのようなものに入れて手で練り、練り上げたものをドラム缶のようなものに入れて、棒でさらに練り回し、穴の開いた円筒状に仕立てて乾燥させているんである。
この集落ぐらいに降りてくると、たきぎになりそうな樹々はそこそこあるんだが、人々は樹木の伐採は決してしない。伐採の果てに襲う荒廃を知る人々の知恵。ここでは山を守ることと人が生きるは同義なのだ。
夜、最後のダイアモックスを服用してベッドに入った。
2014/09/23
NAMCHE3440mナムチェ→LUKLA2840mルクラ
降りるにつれ「ああ、ネパールって熱帯圏だったんだ」と実感する。雪を頂いた険しい山が遠目になるにつれ、樹林帯の間の道は強い日差しに照りつけられて暑い。
2014/09/24
ルクラ滞在
一日早く到着したんだが、飛行機の予約が25日してある関係で、のんびりステイ。街を散策してみる。
「登れましたか?」
街をそぞろ歩きしていたら、声をかけられた。往きに昼食したレストランの隣の土産物店の彼女だ!
「今から登るから、帰りに寄って何かいただきますね」と言ったんだった。
正確な日本語だったから「こちらでお住まいですか?」と訊ねた。トレッキングに来て、土地柄が気に入って住み着いてしまい、土産物店で働いているのだろうと推測したのだ。
「ここ、うちの店なんです」
「え?」
この店の他にも何店舗?か持っている男性と結婚したのだという。
「スゴイですよね〜、女性って!」
「いやー、私には無理ですよ」
後で篠原ガイドと話した。とてもじゃないが、山は好きだが、山では暮らせない性分。俗人は町の雑踏が好物なんである。確かに山が好き。だから山に登る。そして「自然はいいな〜」など感慨も持ち、人知を超えた神の叡智ともいうべき自然の造形に胸を震わしたりもするものの、常日頃せかせか生きているのが身に着いていて、あまりにもゆっくり時間が流れると、却って飲み込まれてしまいそうになる。猥雑で雑駁な都会の波の背をホイホイ渡って行くのがお似合いな俗物と自己認識を新たにした。
「ゾッキョ20頭、ヤク、牛それぞれ30頭にドンキーと羊20頭ずつおまけに付ける、と言われても、どの娘でも好きなの選んでいいよと言われても、どんな美人でも婿養子にはなれないな〜!」
笑える!!!
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