2011年8月に山の神様に容れてもらってモンブラン登頂が果たせ心底ほっと胸をなでおろしたのも束の間、3か月後に控えたヒマラヤ・ピサンピーク6090m登山に向けたトレーニング山行が目白押し。11月、ピサンピークは天候に恵まれず登頂が叶わなかったが、そうなったらそうなったで即、まだ下山もしないうちにアンナプルナ山群を眺めながら「来年はどこかひとつ6000m峰を」などいう話題が浮上してくると、それをまるで当然のようにうなずいていたりした。まったく常にその先、その先と自らを追い立てる性分なのかとあきれる。
山への思いは果てしもないが、しかし確実に色合いが変わってきているのも感じる。いつのまにか「モンブランに登りたい」は「どうしても登らねばならない」に変貌していた。そのくびきから解き放たれて、もう一度「山が好き」な気持ちの内側を純粋に見つめたいと願っている。
「楽しみながら登る」は言うほど容易くはないと重々承知の上、あえてそう念じたい。だから、山の道すがらはもちろん、生きて暮らしての途上で目にしたものや感じたことを存分に味わってみたい。「行きがけの駄賃」とは言うが「登りがけの駄賃」にこそ意味もあろうかと思いもし、もういつどうなってもおかしくない思秋期をはるかに超えた年頃とすれば、生きて元気にいること自体が「生きがけの駄賃」に違いないのだ。
やっぱりイイネ!雪景色!!
「アラカンシリーズ」閉幕後、あっちもこっちもお山には行ったが、「新年号にはやっぱり雪景色でしょ」ってことで12月17、18日にでかけた八ヶ岳ルポを年頭に、新シリーズを開幕することにした。
2011年12月17日
赤岳鉱泉でアシスキャンデクライミング。今シーズン初の雪山&アイスということで、なんだかダメダメで、1本上がるのに他人の10倍ほど時間がかかり、腕はパンパン、ふくらはぎもキュッキュ。
「初じゃなければ、できるような言い方じゃない?」
って、もともとヘタクソです、スマセン。
*登っているのはMさん
上腕がパンパラパンになってギブしようと訴えるんだが聞こえないふりの本郷さん。
仕方なくてトライ&トライ!の図。
いいお天気で、赤岳鉱泉の部屋から見える大同心の白峰が青空に映えてキレー!!
翌日の赤岳主稜が楽しみ〜!なにせ昨年何度かトライしようとしたが、いずれも悪天候に阻まれて、行けてないからね?
膨らむ胸(例えですからね)を抱いてぐっすり。翌日目が覚めてみると…
「お天気悪くてウェイトです」
な・な・なんでッ!!
昨日とは打って変わって外は真っ白々!
「上は吹雪いてるよ」
って、そんな〜!
待ったところで回復は望めそうにない。ので、主稜は止めて裏同心ルンゼに入ることになった。
どーです?!なんと、美しい!!
「歯の根が合わないほど寒い」は、単なる例えではなく、ほんとうに歯がガチガチ、身体がガコガコ・ブルブル震え、しまいに厚手・薄手のグローブを二重につけた手指の先が痛くなるほど寒い。天気が悪ければなおさら、おまけに風にもさらされる裏同心はメチャメチャ冷え冷え!
ま、だからこその飛びっきりな雪景色なんだが…
*登っているのは本郷さん
思うことは誰しも同じとみえて、ルンゼは複数パーティーで渋滞。抜けていくのをやめて、右俣の筋に入って少し上がり、それでも寒くて鉱泉に帰り着いた頃には鼻水ズルズル。冷え切った体を鉱泉特製パンジャブカレーが温めてくれる。
1度の雪&アイス行では「冬身体」にはならなかったようで、2、3日鼻水がズルズル、腹はゴロゴロだった。シーズンはまだ始まったばかり、早く体に寒さ耐性がついて雪山行&アイスを重ねていきたいものだ。
2011年のヒマラヤ・ピサンピークは天候不順でベースキャンプまでで折り返した。ベースから3日かけて降りながら、心は早くも翌年のダウラギリ・ダンプスピーク6035m登頂への思いを宿していた。
2010年には5525mのヤラピークに挑戦。卒倒しそうになって酸素吸引してしまったが、辛うじて登頂した。もしも2011年のピサンピークに登頂できていたら2012年のダンプスへそこまで思いが募らなかったかもしれない。敗退だったからこそ、一度は6000m峰に上がってみたい、と願うのではないだろうか。
「5000m峰は登った。だから次は6000m峰だ!」と
いずれにしても、8月にマッターホルン、11月にダンプスを目指すのであれば、冬から春にかけての雪&アイスは徒や疎かにはできない。
では…
2013年はどうなるのだろう?
鬼が笑わなくたって、そんなことは想像だにつかない。
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