『新約聖書』『法華経』、そして『人魚姫』(アンデルセン)『なめとこ山の熊』(宮沢賢治)などの児童書、さらには『イワン・イリッチの死』(トルストイ)、『深い河』(遠藤周作)といった文芸書まで、幅広いジャンルの作品を取り上げた「物語のなかの宗教」。そのあたたかみのある講師自身の語り口の朗読もあいまって、多くのリスナーを獲得した。そこには、島薗教授がライフワークとしてきた、弱い存在としての人の立場から物事を考えるという思いがベースにあった。
NHKシリーズ こころをよむ『物語のなかの宗教』NHK出版
――「物語のなかの宗教」は私も毎回楽しみにしていました。あれはNHKラジオ第2放送「こころをよむ」というシリーズで、山折哲雄さんや佐藤忠夫さん、小泉武夫さんなど様々なジャンルの方々が講師をされている人気シリーズです。ところで、選ばれた本はすべて読まれたのですか?
島薗:昔に読んで面白かったものが多いのですが、今回のために読み直したものもあります。テキストをつくるにあたり、関連する本も読みました。テキストは昨年の12月にはすでに発行されていて、放送の録音の際にはそれにいろいろと肉付けをしました。
「番組を聴きました」というメールをいただいたり、ツイッターやフェイスブックで紹介してくださったりする方もいて、そうした反響があることは励みになりましたね。今後、もう少し内容を充実させ、1冊の本にまとめて出版する予定です。
――それは今から楽しみです。この番組に託した思いをお聞きしたいのですが。
島薗:私自身は特定の宗教を持っていないので、個々の宗教に深く関わったというわけではないのですが、「宗教」という分野には非常に関心があります。
それでは、自分が宗教に求めているもの、宗教に深く関心があるのはなぜか、ということをはっきりさせるには、宗教そのものよりも、むしろ物語の中で描かれている宗教的なものについて考えることが、そこに近づく術ではないかと思ったのです。
現代社会において、宗教が人間から遠くなってしまった、宗教がやや人々の生活から遊離してしまったように感じます。そうした中で、宗教的な人が創った物語、それは娯楽的なものにせよ、芸術的なものにせよ、宗教が本来伝えたかったであろうものをもう一度引き寄せる、そういう意図もあって創られたり、語られたりしたものが多いのではないでしょうか。『新約聖書』や『法華経』といった教典を取り上げる場合にも、物語性の強い部分を取り上げたのは、リスナーの方々によりすんなりと入っていくのではないかという考えもありました。
――特に童話は年齢や性別などを問わず、物語を知っているので親しみやすい部分があります。
島薗:童話を入れたのは、グリーフケアやスピリチュアルケアという現在の私の教育活動の課題と関わり合っている部分もあります。一般の方々が宗教を求めるとき、その人たちの心に特に響くものは何だろうと、常に考えている立場なものですから。
また、一つ自分の中で見えてきたことがあります。「わたしが祈る対象はこれです」とか「わたしは、これによって支えられています」と、積極的にはなかなか言えないものです。そういう意味で、宗教を持っているとは言い難い。けれども、苦しみや悲しみ、死などに直面したとき、何か支えてくれる存在がなくてはならないというのは誰にでも共通することです。それなのに今持っていないというのは、人間の限界の自覚というか、かなりリアルに経験されることです。
人間というものは、答えがない問題についてずっと問い続けているわけで、宗教はその問題に対して「答えがある」という。確かにとても参考になったり、ある意味では頼れるものだったりしますが、私自身は、どうも納得しきれない面があります。そういう人は結構多いのではないでしょうか。そこで、そういう人にとって「宗教とは何か?」を考えるきっかけになっていただけたらという思いもありました。
――先程、「グリーフケア」という言葉が出ましたが、一般の方にはまだ馴染みのない言葉だと思います。それについてお話していただけますか。
島薗:簡単にいうと、大切な人を失った、とくに死別した場合の悲しみというのがいちばんわかかりやすいと思いますが、そうした今まで自分の支えになってきたような人がなくなってしまったとき、心の痛みをどうやって癒やしていくかということです。
喪失の対象を広げると、ペットロスなども入るでしょうし、自分が大切にしているプライド、あるいは生き甲斐といったものも喪失の対象となります。
そういうものを失うことは、人間にとって非常にありふれたことでもあります。そう考えると、人間の一生は喪失の歴史、喪失の連続といってもいいでしょう。
(向かって左)『宗教・いのち・国家』平凡社、(右)『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』岩波書店
――先生は、お父様が国立精神・神経センターの総長で、お祖父様も東大医学部教授ですから、当然医学部に進むと周囲からは思われていたのではないですか?
島薗:おっしゃるとおり、父が精神医学をやっていましたから、自分自身も精神医学の道に進むんだろうなと考えていました。
高校生の頃は部活のバスケに夢中になる一方で、文学や哲学にも触れ、また、ベトナム戦争が激しさを増している時期でしたから、そうしたことについても考え始めた時期でした。けれども、だんだん受験勉強一辺倒になってしまい、大学合格後は、もうものを考えるのは一切やめよう、楽しく生きればいいじゃないかと考えるようになっていました。一種の逃避ですね。
ところが、デモに行っている友だちや、自分の思想を語る友だちなどに接しているうちに、自分でしっかり物事を考えなければいけないと思うようになりました。当時は東大紛争があり、それは医学部から始まり、なかでも精神科というのは非常に対立が激しいという状況でした。そんな状況下、科学や学問が世界平和や弱い立場の人に対して、どう関わっていくのかというのは非常に大きなテーマでした。つらつら考えるに、そうしたことときちんと向き合うには文学部がいいという結論に至ったわけです。
そして、書斎の中の学問よりは、現実社会の中での学問、フィールドワークなどができる学問がいいと考え、宗教学に進みました。当時の宗教学の先生は、私のような、人生に迷いながら何かを求めている、けれども堅実という路線からはちょっと逸れているような学生を歓迎する雰囲気があったことも理由の一つです。
――問題意識を持った、真面目な学生に変身したわけですね。
島薗:いえいえ、当時の一般の学生同様、麻雀やパチンコもしましたよ(笑)。
それでも、先程のベトナム戦争や学園紛争、そして公害問題の真っ直中の時代ですから、夜通しで友人たちと語り合うことも多かったです。実存主義やらマルクス主義を持ち出し「今、行動しなければダメだ」というようなことを話し合ったり……。しかし、そうしたことを話している自分は一体何なのだろうと突き詰めて考えたとき、空虚なことを語っているだけの自分というものに愕然としました。
その後しばらくして、エリートではない人の思想を研究しようと思い至り、中山みき(1798年〜1887年。天理教教祖/編集部・注)のことなども研究しました。
国際宗教学宗教史会議東京大会(2005年)閉会式にて
――東大で教授をされていたときには死生学にも関わりをお持ちで、『死生学』(東京大学出版)には編者として名を連ねていますね。
島薗:東大で「死生学」を研究テーマにし始めたのが2002年ですので、私が死生学に関わり始めたのもその年ということになります。イエズス会の司祭で上智大学の名誉教授でもあるアルフォンス・デーケン先生が死生学を唱えたのはもっと前で、『死への準備教育』という本を出したのが1986年ですから、日本でも30年ぐらいの歴史があります。
東大では、元々は文部科学省の事業「グローバルCOE(Center of Excellence:卓越した拠点)プログラム」の一環として文学部でスタートしました。それをまとめて刊行したのが『死生学』全5巻で、2008年5月に第1巻が刊行され、最後の5巻が出たのは同じ年の11月です。
――一般の方々には「死生学」という言葉も、まだ馴染みがないように思います。
島薗:知的課題に柔軟に対応するのに秀でたイギリスでは1960年代からすでにテーマとして研究しています。
それまでの伝統文化による死の受け止め方、たとえば、阿弥陀仏にすがって西方極楽浄土に往生するとか、神様に祈って天国に行くとか、死んで先祖になるとか、すぐに輪廻転生するというのは信じられない。けれどもなんらかの形で死を受け止める必要性、それも安らかに死を迎えることは誰もが望んでいることです。
死を迎えるとき、心から安らぎを持つことができるという確信はありません。それでも、これまで人々がどのように安らぎを得てきたかということはある程度学ぶことはできる。そうすると自分の中に答えが無くても、他の人たちが持つことのできた方法をうまく自分なりに用いていけば、それに近いところにいけるんじゃないか、そうした研究は徐々に進んでいます。
――最近は「終活」という言葉も、よく目や耳にします。
島薗:死に関する本が増えたのは1980年代からで、2000年代になってもう一つ大きなムーブメントになったのは、伝統的な死の文化が遠ざかっていったこと、最後まで生き延びる措置をしながら病院で死ぬことへの違和感が高まったこと、また、団塊の世代が定年年齢に近づき、高齢化社会になるというタイミングも理由の一つでしょう。
一方で、阪神淡路大震災のあった1995年あたりから、高齢者の死とは違う、大量の死、事件や事故、災害による死といった、死のインパクトというものが大きくなってきました。私個人は、先程も申し上げたように特定の宗教を信じているわけではないので、死後どうなるという答えはないです。けれども、死生観、死生学というのは自分のこととして考えなければならないし、考えることができる。そういう点では興味深い分野であり、研究していて楽しい、と同時に、むずかしい問題でもあります。
――「死」というものを考えるとき、「無縁社会」も、孤独死などと深くつながっていて、大きなテーマではないでしょうか?
島薗:一昨日、まさに、それをテーマにしたシンポジウム(宗教者災害支援連絡会シンポジウム「災害支援と『無縁社会』―東日本大震災から4年、宗教の働きと力―」/2015年4月4日開催)に参加してきました。無縁社会、つまり人を孤立させる社会は、現代社会のもっとも大きな課題のひとつです。それに真摯に向き合い、無縁社会的な環境を超えていくということは、死生学の課題でもあります。
それについては、地域で様々な取り組みが始まっています。
たとえば、自殺の多い秋田県(1995年から11年連続自殺率ワースト1)の藤里町では、10年ほど前に調査をし、自殺の前には引きこもりがあることに気付きました。そこで、お坊さんが中心となって、気軽に悩みを話せるように「よってたもれ」というコーヒーサロンを始めました。数年で町の自殺者が0人になり、全国的にも一つのモデルになっています。
また、大震災後に宮城県で、こちらもやはりお坊さんが『カフェ・デ・モンク』という移動カフェ・プロジェクトを始めて、大きな成果をあげています。
つまり人間らしい生き方を、できるところから始めれば、むずかしい理論や大袈裟な装置も必要ない、お金をかけなくても素晴らしいプロジェクトが実現できるのです。
宗教者災害支援連絡会シニア除染ボランティア。2012年、伊達市にて
――先生は現在、様々な活動をされていますが、昨年(2014年)は、日本学術会議「福島原発災害後の科学と社会のあり方を問う分科会」の委員長もつとめられましたね。
島薗:3.11の東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所事故は、我々日本人、そして日本という国にとって様々な意味で大きなダメージを与えました。特に原発事故は、科学者が安全と主張し続けていたのに事故が起こったことに加え、その後の対応をめぐっても科学や科学者に対する信頼が大きく失墜するという事態を招きました。この事態を受けて、信頼回復には何が必要かを問うために分科会が発足しました。
詳しい内容については「提言 科学と社会のよりよい関係に向けて―福島原発災害後の信頼喪失を踏まえて―」(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-t195-6.pdf )としてまとめ、公開もしていますので、そちらをご覧いただければと思います。
――先生は他にも「原子力市民委員会」や「立憲デモクラシーの会」など、様々な活動をしていらっしゃいますが、そのエネルギーはどこから湧いてくるのでしょう?
島薗:そうですね……。現実に近いところで他者とともに考えたいという欲張りからでしょうか。学問を始めた当初から、狭い意味での専門分野に対して、何かもの足りないと思っていました。何ごとも人が生きている根っこのところと結び付けて考える姿勢できました。どの立場の人にも自分なりに問いかけたくなってしまう。これは欲張りですね。若い頃はいろいろ迷いもありましたが、宗教学はまさにそうした学問だと思っています。
死生観や死生学を研究対象としたことで、今、自分に身近な課題として受け止めつつ、66歳という年齢になってもおもしろがって研究ができているのは、まあよかったのかもしれません。これからも、ますます弱さを自覚しつつ欲張りであり続けようと考えています。
島薗進(しまぞの すすむ)
上智大学神学部教授、東京大学名誉教授
●プロフィール
1948年東京生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科教授(宗教学)を経て2013年から現職で、上智大学グリーフケア研究所所長も兼ねる。専門は近代日本宗教史、死生学。宗教者災害支援連絡会発起人、原子力市民委員会委員、「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人などもつとめる。著書に、『宗教・いのち・国家』(平凡社、2014)、『宗教と公共空間』(東京大学出版会、2014)『国家神道と日本人』(岩波新書、2010)など、多数。
宗教者災害支援連絡会
https://sites.google.com/site/syuenrenindex/
原子力市民委員会
http://www.ccnejapan.com/
「立憲デモクラシーの会」
http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/