新マシンへの引っ越しから2週間。慣らし運転もすみ、カスタマイズも進んでだいぶ使いやすくなってきました。しかしビックリですよ。パソコンってこんなに「静か」だったんだ。今までマシンを立ち上げている間中ずっと聞こえていた風音のようなファンの音は何だったんだろう。
ていうか、それってマザーボードだかCPUだかなんだかがずっと異常に熱くて回っていたわけで、壊れたのはそれが原因?
ていうか、前から壊れてたってこと?
べつに真相を知りたいわけじゃないのでどっちでもいいですが、ともかくいきなり内蔵HDDがお亡くなりになってなにもデータを取り出せなくなる、という壊れ方ではなくてよかった。先々代のPCもやっぱりマザーボードだかCPUだかが……という壊れ方だったので、HDDだけ取り出してケースに入れてデータを取り出した事を思い出した。
で、思い出したのでずっと前に手に入れていた2TB(!)のHDDを取り出して、ついでに外付けHDDも引っ越ししました。内蔵HDDのバックアップをしている外付けが壊れると悲惨だからなぁ。
そんなこんなをやっている間に今年も年に一度の休肝月間が終了。「休肝」の習慣については去年もこの回「イエス様といっしょ」で書いています。
やはり休肝明けの先日は去年同様イエス様の独演会。「毎年恒例」という行事が増えていくのはそれだけ年齢を重ねた、ことなんでしょうか。それもまた「いい事」のような気がします。「PC崩壊」、こればかりは「恒例」になってほしくありませんが。
"嫁に食わすな"とまで言われる秋茄子を使った「秋茄子のしぎ焼き」。
作り方は以下をどうぞ
ところで皆さんは「毎年恒例の行事」っていくつくらいお持ちでしょう。我が家は「誕生日」や「結婚記念日」に何か特別な事をする、という習慣がない(せいぜいいつもより少しだけいいワインを開けるくらい)ので、あまりありません。
子供がいない、ということもあるんですかね。もしいたらおそらくやれクリスマスだ夏休みだ誕生日だ運動会だ……とさまざまな行事があるんでしょう。そのたびに前年の事を思い出して「ああもうあれから一年経ったんだな」と感じるに違いない。でもそんなことがないせいか、漫然と日々が過ぎていく。あるいは「年に一度の恒例行事」というのは一年の「ランドマーク」の役割を担っているのかもしれません。
むしろ「年中行事」はないけれど、うちの場合は「恒例行事」というよりは「季節のもの」で時の流れを感じる、ということが多いような気がします。曰く「妻が銀杏を拾ってくる」、「家の裏路地で栽培しているブラックベリーを収穫する」、あるいはどういうわけか狭いくせに庭で育てている「ムカゴを収穫する」、「ミョウガを収穫する」……。
なんだか「食べ物」に関係する事ばかりですけど、やっぱりブラックベリーの収穫が終わるころになると「夏も終わりだな」と思ったり、庭の地面にムカゴが落ちているのを見つけると「おお秋が来た」と意識したりします。皆さんご存じですか。ムカゴの花ってシナモンの香りがするんですよ。しかも香るのは朝だけ。陽がさしてくる時間になるともう匂わない。夜は言うに及ばず。本当にこればかりは栽培してみないとわからないですね。ちょっと驚いた。
いけない。「年中行事」の話でした。話を戻します。
というわけで、我が家では季節の収穫以外の年中行事と言えば年末に早稲田の穴八幡神社へお参りに行って江戸の伝統、「一陽来復」の護符(いわゆるひとつの縁起物)をいただく事と年に一度の「休肝月間」くらい。あとは日々移り変わる小さな季節の発見にいそしむほうが体になじんでいます。
季節の移ろいを感じる、といってもたとえば毎朝コーヒーを飲むときに入ってくる日差しの角度、扇風機やストーブの出し入れ、衣替えや掛け布団の枚数の変化……、と意識していなければつい見過ごしてしまうような事ばかり。それが一年のランドマークにならないのはおそらくは空気を吸うようにその変化を体が感じ取った結果の行動だからかも知れません。
しかしそうしていると、月日はなだらかな連続曲線のように流れて「年を経た」という感じがしない。つまりランドマークのない暮らしは「年齢を重ねる事」を意識すること少なくなるわけで、だから「考えが老成しない」というか、「バカのまま歳をとる」という結果を招いているようにも見えて、そのあたりいささか反省しなければならんのであります。
とはいえ、数少ない年中行事のひとつ「休肝明けの健康診断」の推移を見ていると、やはりそれでも程度の差こそあれ、知らず知らずのうちに「肉体はきちんと齢を重ねている」という事実を客観的に認識させられるわけで、つまりは「否が応でも歳はとるもの」なのだから、それならあえてランドマークを作ってそれを認識する必要もないか、とも思うわけなんですね。
あえてした事はなかったけれど、「自分の年中行事を書き出してみる」って作業、あんがいおもしろいかも知れませんね。僕のようにフリーランスで子供を持っていないと想像がつかないけれど、子供がいてこそあるようなイベントも、彼・彼女が成長して家を出て行けばいずれ無くなってしまうことだろうし、あるいは会社勤めにつきものの決算や年度末などの節目も退職後には無用になるでしょう。そうなったとき、「季節の移ろい」を感じるイベントは何か。時のランドマークとする催しは作れるか。そのあたり、頭の片隅で考えることも楽しいんではないか、とご提案申し上げる次第。
ところでその休肝明けに友達一人を誘って夫婦で今年も出かけた浅草木馬亭でのイエス様……つまり浪曲師・イエス玉川先生の独演会(通称「ミサ」)。
終演後は贔屓の居酒屋を目指して吾妻橋までタクシーで移動(近いので歩いても行けるんだけど、早く呑みたくてたまらなかったのヨ)、当夜うかがった演目の話をしながらとうぜんのごとく痛飲。安くて旨い料理を肴に三人で焼酎720ml1本が空いてしまいました。
そんなにお酒が進んだのもその日の演目「天保水滸伝・平手酒造の最後」がすばらしかったから。なんと「中国琵琶」の曲師を伴ってのぶっつけ本番、最後の「柝の音」の入るタイミングがずれたのはご愛敬だったけど、キッパリとして潔く、やはり年に一度でもいいから本物の「うなり声」を聞くのはいいものだとあらためて満足しました。来年も行く。そのためにも元気でいなくちゃ、と思う秋の夜更けであります。
そんな秋の夜更けには「嫁に食わせてはいけない」秋茄子のしぎ焼き。これ、昔から言うけど誰もホンキにしてないよね。へんなの。
しかし「平手酒造」って昔テレビドラマ「甲州遊侠伝 俺はども安」のせいか平幹二朗の印象が強いんだよな。ドラマの内容はほとんど覚えてないのにその役だけはすごく覚えている。調べてみたら1964年制作だそうです。監督は五社英雄。
ところで「五社英雄」さんって監督としての読み方は「ゴシャヒデオ」だけど同じ字を書く本名は「ゴシャエイユウ」なんですってね。コレも調べてはじめて知った。意外。
てなわけで聴いていてカッコイイ高座。落語や講談でもたまにあるけれど、やっぱりそういう高座は生(ライブ)で聴きたい、とあらためて「酔っぱライ部」の本寸法で今回はコレギリ。次回は11月5日の更新です。
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