森田芳光という監督は、個人的な意見ではあるけれど、作品を観客にぶん投げる、ということをしてるんじゃないかってときどき思う。なんか会話の途中を千切ったような残尿感のあるタイトルもそうだけど、映画ですべてを語らずに、内容や結末を観客の想像に任せちゃうような作品作りをしているんじゃないか、と。
東京から故郷の函館に戻ってきた山吹摩耶(小雪)は、どんな仕事をしているのか、何をしているのかはわからないが、ふらりと同窓生に会っては、彼らの夢を叶えるのに必要なお金を「出すわ」と言って差し出す。市電の運転手には、ヨーロッパ視察のための資金を。けがで悩む長距離ランナーには手術の料金を。資源を研究している研究者には研究所の運営費を。どれも膨大な金額ではあるけれど、いとも簡単に「わたし出すわ」と言う。
もっとも、目的が少々わからないホステスの女友達には「出すわ」と言わなかったり、ホームセンターで犬用の小屋とか、微々たる金額しか欲しがらない欲のない友人もいる。そしてほぼ同時に、多くの家の郵便受けに、封筒に入った大金が投げ込まれる「事件」が発生した。果たして摩耶との関係はあるのだろうか?。
この映画は、主役が小雪演じる謎の女であるにも関わらず、ストーリーのほとんどは、彼女から資金をもらった友人や、その家族の話を丹念に描いている。謎の女から大金を得た友人たちが、どんな行動を取るのか、どんな風に代わってゆくのかを捉えながら、それぞれの人間性を暴き出そうとしているかのようだ。
大金をもらってたがが外れるものもいれば、身を滅ぼすもの、本当に有効に使って幸せになるもの、いくらあっても足りないからと断ったり、お金よりも名誉や家族との幸せを重視するもの、それはひとによって様々だ。お金が人生を変えてしまう可能性を、小雪演じる謎の女は客観的に、まるで神の視点からのように冷たく眺めながら、いくらお金があってもどうにもならない自分の境遇をもどかしくも受け入れる。
山吹摩耶の正体は、作中徐々に明かされていくものの、その根本のところはわからずじまい。主人公でありながら、その存在感は希薄で透明で、淡い影のようにさえ感じる。すなわち、本当の主人公はお金を貰った人々の姿であり、先にも書いたように、摩耶はそれらをはるか上空から見下ろす「神様」のような存在かもしれない。なんか小雪さんって女優は、リアルな芝居が苦手なのかもしれないなあ、と思ったりもする。
どんなにお金があっても幸せになれない人間もいれば、お金がなくても幸せな人もいる。それはきっと、お金のある無しというのは、風邪引きのようにその人のその時の状態であり、お金がある時もあればない時もある。大事なのは自分の気持ち次第、なのではないだろうか。ほら、水前寺清子も唄ってたでしょう。「ボロは着てても心は錦」って、ね。
だから、単にお金よりも大切なものがある、って言いたいだけじゃない、ナニか「もやもや」したものを、森田監督は観客に投げてきたんじゃないかと思う。その「もやもや」は、作中の小雪=摩耶とおなじく、自分で受け止めて解明しなきゃならないナニか。
あ、そういやもうひとつ、「幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだね」とも唄ってたな。チータ、イイ事言うじゃん、と、新しい映画を観ながら、旧い歌謡曲を思い出してしまったのであります。
監督:森田芳光
脚本:森田芳光
出演:小雪 /黒谷友香 /井坂俊也/山中崇/小澤征悦/小池栄子
配給:アスミック・エース エンタテインメント
ジャンル:邦画
公式サイト:http://watashi-dasuwa.com/
© 2009 アスミック・エース エンタテインメント