各400ページちょいが上下。そこそこのボリュームだが、読み始めてみると苦にはならない。幾分ゆっくり目なテンポにもすぐに慣れ、むしろ100年前の時代性をよく表現するに貢献しているとわかる。
フランスはパリを舞台に、1900年のパリ万博が背景に加わる。作品の魅力は実に多種多様で多角。改めて著者の守備範囲の広さに感嘆する。
主人公・ジュリアンはパリ警視庁付の精神科医。日々、逮捕・補導・保護されてくる様々な人種の犯罪者や挙動不審者を問診し送検か精神科入院かを判断する。
パリ万博期間に連続する外国人の若い女性行方不明事件を警視とともに解決していくというもの。
当時のフランスの犯罪捜査科学と精神医学の方法論と歴史、それに犯罪傾向そのものの変遷もがうかがえるのが興味深い。
ジュリアンはふとしたことから日本古美術、とりわけ刀のツバに惹かれている。パリでに日本古美術骨董品店を営む林。貧困なるが故に見世物一座に売られて海を渡り、一座からも捨てられた日本女性の音奴。三者のやり取りから透けて見える当時のヨーロッパと日本社会のありようも面白い。
登場人物の一人ひとりの性格設定から伝わる著者の人間観が作品を大いに魅力的にしている。
クラシックなスリル&サスペンスに濃厚な味を加えるもう一つの要素。著者の豊かな情景・風景・自然描写はどの作品にも共通しているが、ロマンスを書く筆致もなかなか。「濡れ場」の上手さに驚かされる。
著者のフランス人の視点から書こうとした試みは作品にどこか翻訳もののような雰囲気を醸している。林や音奴の語る日本やフランスがストレートなのに比し、ジュリアンの視線はもう少し複雑な「作り」をしている。著者の言うなれば異角度からの視線だ。
まずはジュリアンをパリというテーブルに載せる。もちろんテーブルの色形は著者によって精緻に観察・分析されている。次に同じく著者の観察の行き届いたフランス人から見たフランスと見知らぬ日本への視線がジュリアンに移植される。
設定済みのジュリアンのパーソナリティーの中で移植細胞が健康に増殖する。見事な小説作法だ。
それで読者は、あたかも素晴らしい絵画の前に立つ時、絵と自分の間に描いた作家の後ろ影を見る思いに似た感覚を持つのではないだろうか。
つい100年なれど長き100年の時代模様も魅力的に伝わる。パリの石畳の上を駆ける馬車馬の蹄の音が読後も耳に長く響く。
薔薇窓とはジュリアンがパリで最も惹かれるという教会のステンドグラス。
まあ面白いから読んでごらんなさい。熱くおすすめする。
作者名:箒木 蓬生
ジャンル:小説
出版:新潮社文庫