ブルボン王朝支配下、イタリアへの統一を目前に控えた19世紀半ばのシチリア。シチリアの名門貴族で絶大なる権力を持つ父と嫡男の激しい対立を描いた『副王家の一族』。監督のロベルト・ファエンツァが来日し、作品への思いを語りました。
Q:なぜ本作の映画化を手がけようと思われたのでしょうか。また、原作を忠実に再現されようとした点や、逆に映画でのオリジナリティを強調されようとした点などがありましたらお聞かせください。
監督:原作ではコンサルヴォの少年期は語られていなく、物語に登場する時にはすでに青年になっています。少年期に関しては波瀾に満ちていたことを思い出すものの、その様子は描かれません。ですから、私は映画では彼に少年時代を与えることにしました。冒頭の15分から20分ですね。
原作ではコンサルヴォという人物はすでに人格形成された人間として登場しますが、私はなぜ、彼がそういう人間になったかの理由を語りたかったのです。変形のプロセスをたどる形成ですね。
彼が少年時代に目にするものはすべて、ゆがんだものばかりなのです。抑圧的な父親、存在感のない母親、ご都合主義者だらけの一家……というように、恐ろしいものばかり見て育つのです。ですから彼があんなふうになってしまうのも、そうした反教育的な環境のせいなんですね。この若者はあまりにもひどい少年期を過ごしたおかげで、彼が唯一学んだことは親に逆らうことだけ。彼ら以外の模範を選択肢として与えられなかったために、結局は彼らと同じようになって、同じことがくり返されてゆくのです。
ですからこの点に関しては、映画は原作に“非忠実”であろうとする意図があるといえます。原作は、この一族の系譜小説になっていて、ひとりひとりの人物を描いています。しかし私たちは20時間の映画を撮るわけにはいかなかったので、主にこの父親との関係に焦点をあて、原作で描きこまれている他の人物については素描にとどめました。
Q:愛情の最たる形が「憎悪」という信念もしくは錯覚で父のジャコモは生き、そしてその愛を最も注がれたのが息子のコンサルヴォとも言えると思いますが、監督ご自身はそうした屈折した愛の形をどう思われますか。
監督:映画も原作も、公爵夫人の死で幕を開けます。彼女は真の暴君であり、物語の中でもっとも性悪な人物なのです。ジャコモの母親が死ぬと、母親は夫も兄弟も誰も、息子のジャコモをも出し抜いてすべてを手に入れていたのですが、その母親の遺言が開けられると、ジャコモは母親が遺産を息子二人に分けたことを知ります。長男がすべてを相続する権利を持っていた当時ではあり得ないことでした。
それからジャコモは罠にはめられたと思い込むようになります。そこで弟たちに対して、本来自分のものであったはずのものを取り戻すべく、策略を弄し始めるのです。そして、自己正当化のためにこう考えます――もちろんそれは事実とは異なるわけですが――母親は現実にはジャコモのことを誰よりも一番に考えていて、だからジャコモにもっとも強い、愛ではなく憎しみという感情を植え付けたのだと。おそらくそうやって自分を納得させようとしたのです。性格の弱い人間にありがちなように。
ジャコモは、美男の弟と較べて醜い自分が母親から拒否されたことを知っているのです。母親が弟を愛していたのは事実ですから。母親が彼のためを思ってそうしたのだと思い込むのです……母親から拒否された苦しみに耐えるために。
原作:フェデリコ・デ・ロベルト『副王たち』
監督・ 脚本:ロベルト・ファエンツァ
出演:アレッサンドロ・プレツィオージ、ランド・ブッツァンカ、クリスティーナ・カポトンディ、グイド・カプリーノ
公開:11月7日(土)、Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー
配給:アルシネテラン
ジャンル:洋画
公式サイト:http://www.alcine-terran.com/ichizoku/
シネマピア:http://asobist.samplej.net/entame/cinemapia/0170.php
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