友よ-6

山をやり始めて1年少し経ったころ、友とファミリーレストランの片隅で長話ししたことがあった。

奥多摩巡りの終盤にさしかかっていた。奥多摩の中低山はことごとく登り、残された課題・山中連泊の縦走を決行した。鴨沢から雲取山に入り、芋木ノドッケ、長沢山、天目山、一杯水、蕎麦粒山といわば奥多摩の屋根地帯を尾根伝いに横断して、日向沢ノ峰から川乗山を経て鳩ノ巣に降りる計画だった。単独行。
できればテント2泊を目指していたから、ただでさえ歩くのが遅いのに、14kgをしょっての強行軍で、1泊目の百人敷テント場に到着して間もなく日没。あたふたと食事を済ませ、速攻テントに潜り込んで寝てしまった。
「それでね、朝起きてテント出たらね、まん前にピンクの富士山がわーーッていたの!」

2日目はさらに大変だった。縦走路は通う登山者が極端に少ないかして整備状態も悪く、崩れ落ちていたり踏み跡が落ち葉に隠れていたりで、不安のあまりおかしな「既視感」に襲われ泣きたくなった。
「小屋に着いたら先客がいてね、夜中におなら出そうになっても我慢だし、起こしちゃ悪くてトイレも行けないし」
口角泡を飛ばししゃべりまくるのを、友はにこにこしながら聞いてくれた。

3日目。川乗山から、こともあろうに道を取り違えて赤杭尾根に回ってしまい、予定時間を大幅に越えてヨレヨレで川合にたどり着いたのは、日もとっぷり暮れた8時20分ごろ。
「6時過ぎるとねもう真っ暗なのよ。死ぬかと思ったわー。『フレー・フレーあ・き・こーッ!』とかわめきながらさー」

それまで「ほーほー」「ふんふん」と聞いていた友が言った。
「あんた、ダイジョブよ、独りで生きてける」
「え?!」

友は自身も気づいていなかった、山へ分け入った深層の意味を言い当てたのだ。
もとは健康を取り戻したくて、腰痛や膝痛を克服したくて始めた山登り。「山に抱かれ山を行き、山で眠り、また山を行く」いつの頃からかそう念じながら登り続けた。「なんだか山が好き」そんな漠然とした想い。草花が好きで喜々として撮りながらの山行。山の神様は女だけれど「きっと山の草木の守神は男で、気に入られたのよ」と。
けれど、それだけでは50も半ばを過ぎて始め、続けるうちに60の声も近くなり、よりによって「汗かきべそかき」きつい山登りに我と我が身を強いるものの正体を説明しきれるものではなかった。むしろ、山に熱中することに、どこか後ろめたささえあった。
「60ってね還暦って言うでしょ。暦が一巡して次の暦に入るってことなんだって。翻弄されたり抗ったりしたひと周り目の星の定めから解放されて、自分で選んで生きていいってことなんだって」

必ずしも山に熱中して許される状況でもなかった。立ち上げた「あそびすと」サイト運営は一向に芳しくなく、むしろ「のんきに山登りしている場合じゃない」危機的状況が続いていた。
が、「仕事と山」は別々のことに見えて実はひとつのことだと知った。山と仕事の交差するその先にあるもの。人生の統合であり、再構築を希求していたのだった。

全ての迷いを払拭して一層、山に分け入った。
「雪山も始めたよ。クライミング始めちゃった」
にも「どんどんやればいいよ」と友は言い、「モンブラン登るんだ~」にも「きっと大丈夫だよ」と後押ししてくれた。

「もうね、自分の好きなことだけやってもいいの。むしろエゴを通してハッピーをつかむことが周りもハッピーにするから」
友は言い切った。

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