大晦日。その日まで何もできなかった大掃除の代わりにせめて、と小掃除。妻が玄関と風呂場の掃除をする間にリビングの床を磨く。
大晦日の“1枚”はレイ・ブライアントを 年越しの時を過ごすリビングだけはなんとかキレイにして、やれやれと食事の支度を始めたのは午後6時。午前中に済ませておいた買い出しの食材群から選んで「まぐろアラの竜田揚げ」、「京芋と金時人参の煮物」などを作る。
レコード棚の前に立って年末年始に聴く盤を選んで片面ずつ聴くのは毎年の楽しみ。5枚ほど選んだ中から大晦日に聴いたのはレイ・ブライアントの「トリオ」など3枚。それらを聴きつつ大晦日だから、と料理の伴に日本酒を呑んで迎えた午前零時、一陽来復の護符を所定の位置に貼って就寝するのは毎年恒例だ。
新年最初は「鶏大根」。
見た目からも暖まる簡単一品です
少し遅めの9時に起きた元日、今年1枚目のレコードをターンテーブルに乗せる。初レコはジョニ・ミッチェルの「ミンガス」。B面が聴きたくて乗せたけれど、けっきょくA面も聴いたので、「名盤片面」ではなくて「名盤両面」になってしまった。
窓の外に見える空は曇天。朝食のヨーグルトを食べてコーヒーを飲みながら2枚目を聴こうとするころに白いものがちらつき始める。えい、とばかりに服を着て初詣に出かけたのは自宅からもっとも近い地元の天祖神社だ。
世田谷のはずれにあるこの神社の参道脇には神楽堂があって、初詣の参拝に並ぶ列の横でお囃子が演奏される。太鼓、笛、を中心に5人ほどのユニットで演奏されるのは保存会による「野良田囃子」で、この神社の近隣一帯は今でこそ「中町」という味も素っ気もない名が付いているが、旧名を「野良田」と言った。「野良に田んぼ」なんて素朴な風情があっていい。いっそ戻せばいいのに、と毎年思う。
並び始めて15分もする頃、ちらつく雪の量が多くなってきた。草履を履いた素足に足袋1枚、手も薄い皮手袋だけの妻が寒さに音を上げたので参拝をあきらめて列から離れ、いったん家に戻る。
湯をはった盥に手足を浸し温めている間、テレビをつけると「ショーシャンクの空に」の終盤。思わず最後まで見て、体勢を立て直した妻を伴いふたたび神社へ。先ほどよりも短い列の後につくとちょうど「野良田囃子」が始まった。その冷たい空気に呼応するように響き渡る笛の音を聴きながら参拝を済ませて近くの駅まで歩き、仕事場のある自由ヶ丘へ電車で向かう。
駅について改札を出ると、さすがにほとんどの店は閉まっていて、往来する人の数もまばらだが、そのほとんどがわりと大人数の2世代、あるいは3世代の家族グループで、この辺りが「正月」を感じさせるところだ。
マンション1階にある郵便受けを開いて年賀状を手に仕事場のドアを開けるのも毎年のこと。近年「デジタル年賀状」で郵送に代える人達がママいるので元日にメール・チェックをするのも例年通りだ。
今年は意外や電子メールが一通もない。ないどころかSNSの書き込みを眺めてみると僕同様「これから年賀状を書く」という人がたくさんいる。複雑な「共犯」の安堵とこれからの作業を考えて気重になる思いはギュッと目をつぶって心の奥に隠し、明日以降に日延べして仕事場を出た。
元日から開いているスーパーをのぞき、妻が買った何に使うのかわからないカゴを手に駅まで歩いていると、去年も元日に同じ場所で会ったカメラマン夫妻に遭遇して写真を撮られた。なんて言うか、こういうことってあるんだな。来年も会うかしら。
家に戻って部屋が暖まるまでぼんやりソファに座り、テレビをつけると今度は映画「グリーンマイル」をやっている。朝から「監獄映画」2連発。どうしたことだろう。
「監獄映画」というとすぐ頭に浮かぶのは僕の年代なら「大脱走」、「パピヨン」、「ミッドナイト・エクスプレス」あたり。「ブル・ベイカー」や「オー!ブラザー」なんていう毛色の変わったものもあるけれど、この日の2本は一方が「脱獄もの」で1本が「オカルト(めいた)もの」。
「グリーンマイル」は原作がスティーブン・キングで、たしか本もけっこう売れたはずだ。そういえば去年読んだキングの「11/22/63」という上下巻になった分厚い2分冊は、「タイムスリップもの」の類いだけどメッセージ性も感じさせながら、ボリュームが苦になることもなく、なかなかおもしろかったな、なんてことを考えながら最後まで映画を見た。
そして新年最初の“1枚”となったジョニ・ミッチェル 映画が終わったので年末に繋ぎ直したステレオシステムの不具合を直す。どうも入出力系統が多すぎるので、つなぎ直す度にどこかしらに不具合が出て毎度苦労するのは自分のせいである。
このタイミングでなんとかステレオシステムの調子を戻したかったのは、元日恒例「ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート」の中継があるからで、これを元日の夕食のBGMにすることが習慣になっているのだ。
とくにクラシック音楽に造詣が深いわけでもない僕が、この中継を楽しみにしているには訳がある。それはその昔「週刊文春」で連載されていた「おじさん改造講座」というコラムにイラストを描いていたときのこと。ある日編集部から「こんなものが来ました」と渡された「主人公のキャラクターが主人にそっくりで、思わず書きました」と言うオーストリア在住の女性からのハガキがきっかけである。
「できれば何か作品集のようなものはありませんか」と書いてあったものの、それに類するものはもちろんなかったので、ていねいにお礼を書き、当時作ったばかりだった自主編集の「手描きコラム集」を同封して送った。
するとおよそひと月後、感謝の手紙ととも1枚のCDが送られてきた。CDの演奏者名には「ライナー・キュッヒル」とあって、ウイーン・フィルのコンサート・マスターだという。僕の描いた絵が彼にソックリだというわけである。
腰を抜かして驚いて感激し、以来毎年
その雄姿(「お姿」と読むw)を拝見するべく元日の生中継を見るようになった。見始めたのは92年のカルロス・クライバーからだと思う。だから残念ながら87年のカラヤンには間にあっていないけれど、小澤征爾やムーティーの指揮は見ることができた。
習慣とは不思議なもので、毎年これを見ないとなんだか正月を迎えた気がしない。この日もおせちをいただきながら鑑賞、今年のズービン・メータもなかなかだったしもちろんキュッヒルさんもお元気そうで何よりでした。
来年はヤンソンスだそうですね。楽しみだな。何度かタクトを振っているヤンソンス、「おもしろいおじさん」、という感じがしてわりと好きなんです。この人の「ラデツキー行進曲」は他にない明るさがある。クラシックはそれほど親しみがないけれど、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートには少しだけ詳しいのだ(笑)。
そんなこんなで中継が終わる頃にはすっかり酔いも回って元日終了。
翌2日は、かねてから妻から依頼されていたのに放ってあったフライヤーのデザイン作業や、自分の年賀状の下ごしらえを始めたので、なんだか正月は1日コッキリだったような気がする新年の「かんたんレシピ」は「鶏大根」。
材料を入れてただひたすらコトコトと火を入れるだけで想像を絶する旨さです。残ったスープで作る「鶏雑炊」も絶品。生姜も入っているので体が温まります。
というわけで今年初めての「酔っぱライ部」もこの辺で。みなさん、今年もどうぞよろしうおつきあいくださいますよう。次回は1月20日(お詫び:公開直後22日となっておりました。訂正してお詫びいたします)更新の予定です。
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