フューリー

FURY_m.jpgたった5人で300人のドイツ軍に挑んだ、名もなきアメリカ兵たちがいた。自らが死を迎えることをも厭わずに……。海軍経験もある監督が手掛けた脚本にブラピが惚れ込み、ブラピ自身も製作総指揮に加わった本作は、早くもアカデミー賞有力候補との呼び声も高い。物語自体はフィクションながらも、本物のシャーマン戦車(アメリカ)とティーガー戦車(ドイツ)を使用して徹底したリアリティに拘った骨太な戦争映画だ。

FURY_s.jpg1945年。フューリー(激しい怒り)と名付けられた戦車を指揮するウォーダディー(ブラッド・ピット)のチームに、戦闘経験皆無の新兵ノーマン(ローガン・ラーマン)が配置される。敬虔なクリスチャンであるノーマンは、敵兵が虫けらのように殺される戦場の実態を受け入れることができない。業を煮やしたウォーダディーは、ノーマンを“戦士”に育てるために強硬手段に出る――。

本作の主軸は深いメッセージを秘めているので、最初に小姑的な些末なお小言を言わせていただく。凄惨なセイサンな描写……とは言うが、ブラピ主演なだけあって主人公マジックは健在で、魔法の砲弾は彼らを避けて通り過ぎ、たとえ死んでしまっても主要な登場人物たちの顔はほぼ無傷。顔面が原形をとどめないほどの本当のリアルな描写は現れない。名もなき兵士の顔の皮にも眼球がバッチリついたままになっており、これも何かの魔法かと思えてしまう。これはハリウッドだから仕方がないと言ってしまえば仕方がないことではあるのだが。

さて、本題に移ろう。本作は戦争映画であると同時に、アメリカの国教であるキリスト教を中軸に据えた宗教映画でもある。アメリカにキリスト教が根強く浸透しているという事実を深く理解していなければ、ただただリアルな戦争映画にしか映らないだろう。「人を殺す」という凄惨な行為が「平和のため」に許される現実、否、許さなければ自らの存在意義が見いだせなくなって精神崩壊もしてしまうだろうという現実。人が虫けらのように死に、戦闘の現場は目を覆うばかりで、だがそこには信仰があり、世界平和を願って死んでいった戦士は英雄だ…というだけでは済まされない深遠なメッセージが本作にはある。
ブラピ演ずるウォーダディーを、「残酷なやり方も何もかも、将来の世界平和のためにやらなければいけない聖戦」を行う英雄と捉えるか。それとも「キリスト教は世界で唯一正しい。この免罪符のもとなら、憎きドイツ兵はいくらでも殺していい」と、自らの正しさを振りかざして血も涙もない鬼と成り下がった哀れな軍人と捉えるか。新兵が“立派な兵士”となるさまを「成長」と捉えてカタルシスを見出すか、それともこれを「人間性の衰退」と捉え、彼の勇姿に絶望を見るだろうか。
軍オタが喜ぶ“戦車”映画だけにはとどまらない、複雑な問いを観客に訴える一本だ。

監督・脚本・製作:デヴィッド・エアー
出演:ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル
配給: KADOKAWA
公開:11月28日(金)、TOHOシネマズ日劇他 全国超拡大ロードショー
公式サイト:fury-movie.jp

 

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