【駅員はつらいよ】偶然だった縁深き勤務駅

今年も夏がやってきた。昨年のこの時期にも書いているように、夏の鉄道会社といえばスタンプラリーである。JR東日本は今年もおなじみ『ポケットモンスター』東京メトロは『仮面ライダーウィザード』などなど、首都圏だけに限らず各地で夏休みイベントとして組まれている。まあ長い長い夏休みを持て余す(←失礼)お子さまにはうってつけのイベントであるが、昨年も書いたようにコンプリートなどを目指そうとすると思わぬ出費になる仕掛け(笑)となっております。頑張りましょう、お父さんお母さんにおじいちゃんおばあちゃん。

とまあ、そういえば『ポケモンスタンプラリー』って某駅にお世話になってすぐだったよな……なんて考えてみると、あれから5年が経ったことに気が付く。いまでこそスタンプ設置駅は限定されているが、当時は山手線には全駅設置されていたので、いつもはビジネスマンと大学生、外国人ばかりの田町駅に、そのときばかりは(主に)小学生のみなさんが溢れかえっていたのも思い出す。

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田町駅。隣には森永製菓など大企業の街であり、慶應大学など学生の街でもある
……そう、田町駅。唐突ではあるが、これまで“某駅”と書いてきた私の勤務駅は、東京都港区芝にある『田町』である。勤めたときから5年、先日それ以来で訪ねてみたら当時いらした駅員さんは、駅長さんから助役さん、出札改札さんに至るまでキレイサッパリ異動や退職をされていた。いや、おひとり営業主任の方が在籍されていたのだが、私のことなどキレイサッパリ覚えておられなかったので、時の流れとともにもういいかと考えて書いてしまう。まあ、明らかに慶應大学のこととか書いていましたからね、わざわざ書くまでもなく知れていたとは思いますけれども(笑)。

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そうそうこのポスター。
こちらは以前、渋谷で撮ったもので、
現在は掲示されていない、はず
そんなところで今回は、アルバイト駅員に応募して、ある種“シャレにならない”田町勤務となったことを振り返って書いてみたいと思う。

このアルバイト駅員というのは、正式には「テンポラリー(一時的)スタッフ」という名称で、当時は首都圏の多くの駅で募集が掛けられていた(現在は大きな駅や大きな施設がある駅中心の様子)。私は品川駅で募集ポスターを見つけ、記載されていた番号に電話をすると、まず「最寄り駅である根岸(横浜)では募集がありません」と告げられた。「別の駅でもいいですか」という問いかけに、むしろ別のほうが……と答えて次に出てきたのが「田町」だった。
田町、か……。

実を言えば田町には編集者やライターとしての取引先が数軒……いや、数軒とかではなく、前職である『BOATBoy』を統括する日本レジャーチャンネルや、ボートレースの統括団体である日本モーターボート競走会があったりする。つまりほぼ直前まで顔を合わせて仕事をしていた人たちの最寄り駅が田町であり、そこに直前まで編集者だった男が駅員として立っている――。これ、顔を合わせたらお互いにかなり妙な、いや、もはや気まずい状況にまでなろう。
田町と聞いてすぐにそこまで思い至ったのだが、あまり選り好みしてもいられなければ、残念ながら落とされるかもしれないし……そんな気持ちで承諾させていただいたのだが、本当に人手不足だったようで面接もアッサリ終わって採用決定。前職関係の人にはなにも知らせないまま、田町での駅員生活が始まったのであった。

まあ当然ながら、それまで関係していた人たちとしょっちゅう駅員として遭遇してしまい、相手が「え? なんでマツモトが?? 駅員???」と大混乱のうちに接客していたのは忘れない。それは相手も同じだったようで、今年5年ぶりに行ったボートレース場で会った当時の関係者は、私の顔を見るなり開口一番「あれ、今はどちらでお勤めなんですか?」とのお尋ねがあり、私が「今は渋谷です」と答えると、「田町と違って大きいから大変でしょう」……と、むしろ駅員のときに会ったことを私のほうが忘れていて、しばらく話が飲み込めなかったものである。

20130726pict_c.jpgそれまで深すぎる縁、まあ言ってしまえば因縁となってしまった場所、田町。偶然にもそこに勤めることになったのはなんのイタズラか――当然そんなことはわからないままの私は、自分の運命を多様に作用した駅名を手許に見つめながら、今日も電車に揺られている。