切り口上の効用

先日、お江戸日本橋亭で開かれた「五六の會」という落語会へ行って参りました。これは柳家さん弥さん、柳家右太楼さんという二つ目さんの二人会で、それぞれがさん喬師匠・権太楼師匠お二人の五番目、六番目の弟子ということで2005年に始まった勉強会です。
じつはご縁があって第一回を聴いている二人の高座、年を経るごどにどんどんよくなるいわば伸び盛りで、その変化の様子を眺めているのはファンとしてとても楽しいもの。これまで風呂屋の2階や区民センターの集会所のようなところで開いていた落語会が7年の時を経てついに寄席で開かれる運びとなったこの日、それではとうかがいました。当日はこんな演目。

・長者番付(序) さん弥
・五人廻し 右太楼
・巌流島 右太楼
・長者番付 さん弥

二つ目さんの勉強会はお客さんと高座の距離がとても近くて、高座からの「がんばってます!」という圧力と、客席からの「がんばれ!」という熱気がぶつかって崩壊熱(?)を出す、と言ったらいいんでしょうか、人気の落語会とはまた違う、人数は少なくとも一種独特の雰囲気があるんですね。楽しい落語会でした。

ところでこの日さん弥さんがかけた「長者番付」という噺。僕は浅学にして先代・柳家小さん師匠のレコード音源でしか聴いたことがないんですが、とても変わった物語で、江戸っ子二人がその旅の途中で造り酒屋へ酒を呑ませてもらいに行くという、ただそれだけの噺です。むつかしい噺のようですね。さん弥さんも汗だくになって演じていました。
その道に詳しい方にうかがったところでは、どうやら「二人旅」という長い噺の一部だそうで、いわば「スター・ウォーズ」の「エビソード3」だけの上映、みたいな感じらしい。「通し」で演じた日にはたいそうな時間がかかると言うことでした。他でも「怪談乳房榎」や「牡丹灯籠」なんかがそう。落語にはそういう長い噺がたくさんあります。
このように長編の「一部だけを舞台にかける」ことは落語に限らずあって、歌舞伎でも「仮名手本忠臣蔵七段目・祇園一力の場」や「義経千本桜四段目・川面法眼館の場」(例の狐が飛ぶ場面)、浪曲でも「清水次郎長外伝・石松三十石船道中」(江戸っ子だってねぇ寿司食いねぇ)、「国定忠治・名月赤城山」(赤城の山も今宵限りか)など、通しでやったら(やりませんけど)大変なことになる長い物語のパートだけを上演するなんてことが通例としてある、と。

ところでこの長い演目途中のエピソードだけを上演(口演)してその舞台を終えるとき、たとえば歌舞伎などでは、チャンチャンバラバラと斬り合いをしている途中、切りのいいところでやおら役者さんが舞台へかしこまり、「本日はコレギリ……」といって柝が入ってお開きとなる、あるいは浪曲・講談や落語では「『塩原太助一代記』という長いお話、半ばではございますが本日はこれにて……」などと告げて平伏、そして幕、これをいわゆる「切り口上」といって、舞台の終演を告げる文句になっています。
今では俗に「不躾にものを言う」ことを指す言葉ですが、そもそもの出典はこういった芸能からで、「舞台のいいところでいきなり切る」という客にしてみれば「残念」な言葉なので何か無愛想な物言いのことを指すようになったのでしょう。

そんな「いいところでいきなり幕」なんてことは酒の席でもよくあることとて、先日夜の街で数名のグループがたむろっているところに遭遇、中の一人が「二次会行く人! はーい!」と手を挙げたら挙げたのは一人だけだった、なんてのを目撃しました。一人だけ、盛り上がってたんですね。身につまされたもんです。
というのも、自分の飲み方がいわゆる「後引き酒」というヤツで、始めるともう一杯、もうちょっと……と翌朝は必ず後悔するとわかっているのに(いや、呑んでいるときはわかってないか)キリがない。妻からの「切り口上」が入って「本日はコレギリ」と幕になる、なんてことになります。「わかっちゃいるのにやめられない」んですね。かならずや思い当たる人もいるはず。いるでしょ? 僕だけですか!? 困ったもんだ。


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こちら「お好み焼き風タママヨ」

そんな、きっといるはずの「後引き酒」なあなたへ、つい「もう一杯」と言いたくなるような「タママヨ」のレシピで今回はコレギリ。カレー味にしたりいろいろ適当な味付けで楽しめるお気楽な一品(てほどでもないか)です。

【Panjaめも】
●「五六の會」7月公演のご案内
http://petaco.sakura.ne.jp/rakugo/goroku/1.html

●五代目柳家小さん「長者番付
便利だなぁ。パソコンでこんな噺が聞けるなんて!
この高座、僕も見ていると思いますね。