地獄谷・上の権現沢アイスクライミング-2


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3月20日
朝食後、出発。
静かな谷筋の朝。
ワカンで雪を踏む音と、自分の荒い息遣いだけしか聴こえない。せめて本郷さんとTさんの後姿が視野に入るぐらいの距離では歩きたいと必死で歩く。心臓、バクバク。

「ここまでは昨日ラッセルしたけど」
しばらく行くと、もうトレースはない。先ずはTさんが先頭に立つ。

「ラッセルより遅くてどうするの!」
あらら、必死で歩いてるんだけどね?

傾斜が強くなるにつれ谷幅が狭くなる。時折、両脇の谷壁ににじみ出た水分が徐々に凍結してできた氷柱が下がっている。深い谷間は幽谷というに似つかわしい荘厳と幽玄に満ちている。人の侵害を拒むでもなく、かといって敢えて受容するというふうでもなく、鹿やその他の生き物と同じように、まるで頓着しないかのように独り沈思黙考の態だ。

どんどん傾斜がきつくなり、ハーハーも激しくなる。雪の斜面に大きな塊が、下部を雪に埋もれて転がっているのに2度お目にかかった。どちらもかなり大きかったが、とりわけ一方は3人で腕を回して届くかどうかぐらい太かった。「どこから来たのかな?」とは、漠然と思ったが、それ以上氷塊について執着することなく、とにかく歩くのに精一杯だった。

20110320002s.jpg 「やっぱりな、じゃなけりゃいいな、とは思ったんだ」
本郷さんが落胆して言った。クライミングするはずだった夢幻沢大滝が上部3分の1ほどを残して消失していた。それは洗濯ものでもぶら下がっているような無残な有様だった。
19日に5時間以上かけて出合い小屋へたどり着き、寒さをしのんで夜を過ごし、翌朝また、数時間かけて登ってきたわけで、言わば2日がかりで遠々「夢幻」に焦がれてやってきた挙句のこの光景。「開いた口が塞がらない」に収まらず「腹が立つ」とまではいかないにしても、一体、どこに不満を向ければいいのか。
が…
「やっぱり東北のと関係あるんでしょうか?」
「それしかないね」「こっちも6ぐらい揺れたしね」

あの雪面に半ば埋もれていた氷塊の正体が明確に知れ、やる方のない憤懣は恐れおののきに変わる。3人がかりでもどうかな太い氷柱は、恐らく2トンとか3トンとか恐ろしい重量だろう。
「本震で亀裂が走って、余震でドーンといったんだろうね」

沈思黙考する谷が突然、咆哮をあげた瞬間、創造神は破壊神に豹変したのだ。雪面を揺るがして巨大な氷塊が転がり落ちる様は想像もつかない光景だったろう。

そして今はまた、何事もなかったかのように鎮まり返っている。
「また来年だな」

氷瀑は時が巡れば溶けて涼やかな水しぶきとなって流れ落ち、また次の冬の訪れとともにわずかに姿を変えて形成される。永遠に失われてしまったもののあまりにも大きかった、かの地を思った。

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