清の湯 –故郷の湯–

今回はとある銭湯を目指して一路北海道へと飛んだ。
とは言っても、ひとっ風呂浴びるためだけに北海道へ飛べるような大物作家ではないので、もろもろの仕事を絡めながらの小物作家的旅となった。旅程は3泊4日。のっけから強行スケジュールを組んでいるため、旭川空港に降り立った瞬間から馬車馬のように仕事をこなして行く。




初日と二日目は、道東方面で打ち合わせが満載。夜は連日地元の知人たちと酒宴で盛り上がった。
北海道はやはり食い物が美味い。居酒屋の“お通し”で出されたホタルイカの沖漬けが美味すぎて、思わずおかわりをしてしまった。食い物が美味いと酒もすすむ。そうなると当然二日酔いとなる。

三日目の朝、担当営業アベ氏の電話で目覚めると、すでに約束の時間を大幅に過ぎていて飛び起きた。どうやら目覚まし時計のアラームを止めて二度寝してしまったらしい。寝グセで爆発した髪もそのままに、慌ててホテルのロビーに下りて行くと、アベ氏もソファに埋もれてコメカミ辺りを押さえていた。ひどい二日酔いだという。
札幌に向かうため車に乗り込むと、車内は2人の吐く息で瞬く間に酒臭くなってしまった。道中、警察の検問に怯えつつも、2時間ほどで無事札幌に到着。そのまま慌ただしく打ち合わせに突入し、午後15:00を回ったところでようやくお開きとなった。

さて、札幌は私の生まれ故郷である。今回の旅は年に一度の帰郷でもあるのだ。
その日の夜は実家でジンギスカンをご馳走になり、迎え酒で気分が良くなったところで、いよいよ今回の旅の一番の目的である『清の湯』へと向かった。
『清の湯』は実家から歩いて5分のところにある質素な銭湯だ。しかし年に一度、帰郷の際には必ずここの湯をいただくことにしている。




タオル片手に入り口をくぐると、例年通り番台には当主の爺さんが鎮座していた。ポケットから取り出した湯銭を置いて、男湯の暖簾を分け入った。すると柔らかな石鹸の香りが鼻先をかすめた。先客は2名。小さな町の銭湯経営は、年々厳しくなっていると聞く。しかし『清の湯』にはどうにか頑張ってもらいたい。ここは私にとって、一年の時を刻む“しおり”のような場所だからだ。

ここ数日、ビジネスホテルの小さなユニットバスで堪えていたので、足を伸ばせる銭湯のありがたみが身にしみた。目を閉じて肩を湯に沈めると、先客の体を洗う音だけが聞こえてくる。
「ああ、また一年が過ぎたのだな」
故郷の湯に浸かりながら、しみじみとそんなことを思った。

湯から上がってカランの前に座ると、目の前の鏡に『パンチパーマ・アイロンパーマ・理容室どい』と書かれた広告があった。この鏡広告も昔から変わらない。今では所々が剥げ落ちていて、ひどく寂れた印象を受ける。
ふと辺りを見回すと、いつの間にか客は自分ひとりになっていた。
私はインチキ英語でビートルズの“In my life”を口ずさみながら、寝癖がついたままの髪の毛と一緒に、この一年でこびりついてしまった心の垢をガシガシと洗い始めた。

*清の湯:北海道札幌市白石区本郷通4丁目北3-10