vol.22:大塚まさじ旅をしながら心の風景を歌う


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私が大好きなアーティストを紹介したい。
その人は「唄の旅」を続けている大塚まさじさん。1960年代後半に産声をあげた日本のフォークソングは、さまざまな変容を続けつつ、70年代若い人々に圧倒的な支持を得た。大きなブームが去った後も、自分の歌を大切に歌い続けてきた人々がいる。大塚まさじさんもそのひとりである。
「聞いてくれる人がいたら、どこへでも歌いに行きます」そんなふうにギターをかかえてひとり旅の一歩を踏みだしてから、21年の月日が流れた。
各地のライブハウスで歌ううちに「私たちの街でも歌って欲しい」と声がかかり、唄の輪が広がっていった。北は北海道稚内市から南は沖縄県波照間島まで、延べ1800カ所を廻ってきたという。「20年間、毎年訪れているところもあります。最初に行ったときにおぎゃあと泣いていた赤ん坊が今は二十歳……もう、家族みたいですよ」とまさじさんは微笑む。

インタビューの前日、関東ツアーの最終ライブを聞いた。
久しぶりで聞いたまさじさんの歌は、以前より増して自然体でおだやかに心に響いた。

何処にいても同じなら
輝いていたい 何をしても同じなら
好きなことで生きたい 長い旅の途中
月の道標 −「一人旅」より−


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まさじさんの歌詞とメロディは、どんなふうに生まれるのですか?
「歌のなかには風景が欲しいんです。今、自分がどんな世界にいたいか…自分が気持ちよかったり、愛せたり…ね。いつも僕という立場から歌っているけれど、聞いている人のなかにどう転化されていくかも思い描きます。映画館から出てきたときに主人公になっている自分がいるでしょう。僕はそういうことが好きなんです」
聞き手は1000人でも10人でも、まさじさんにとっては一緒だという。
「たとえば10人の人がいても、ひとりにむかう気持ちで歌えば、10個の心が歌の風景を構築してくれるんですね」

ところで、まさじさんはおそらく誰も真似できない、独特の声を持っている。前からこの声のルーツ(?)を知りたくて、知りたくて。それで、今回思い切って伺ってみた。
「実家が大阪近郊で大きな養鶏農家をやっていました。そこで働く人たちは仕事をしながら歌謡曲を鶏の鳴き声に負けないくらい、皆大きな声で歌うてるんですよ。春日八郎、三橋三智也、美空ひばり…。僕も小学生のころから手伝いながら歌っていました。高校生のとき、大阪労音(勤労者と学生のための興行団体)の会員になって、月3回のペースで本格派の生ステージを見せてもらいました。タンゴ、ゴスペル、シャンソン。本当にどれもすばらかった!」


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その後、自分の好きなジャンルを見出していったという。
「ものの始まりは、皆、あこがれからだと思うんです。ボブ・ディランを聴いたり、ゴスぺルを聴いたり。黒人系のものが好きになって。皆ねちっこいんですよ、ええ感じで(笑)そこいら辺をずっと聴いてきたからかなぁ……」
まさじさんは「実は、ようわかりません」と付けくわえたけれど、なんだか納得できてしまった。

まさじさんは50台半ば。「体力面など、これからさまざまなことがマイナスにむかいますよね。でも、マイナスになっていく分、精神が柔軟になります。若いときはその逆で、体力は勝っても精神面の悩みが多かった。今はそのふたつが交差していくおもしろさを感じています」
「あと何年かして立って歌えなくなったら、座ってやるんだろうな…なんて、イメージすることもありますよ」いたずらっぽく笑って、本拠地の大阪に帰っていった大塚まさじさん。彼に「歌わない」という選択肢がないと確信できて、とてもうれしい気持ちになれた。

どうしてぼくは ここにいるの どうしてぼくは 旅にでるの
おき忘れた夢に 光がさして たどり着きたい 大地が見えてきた
人は生きて 悲しみを知り 人は生きて 喜びも知る
−「一輪の花」より−


プロフィール写真

【プロフィール】
1900年
大塚まさじシンガー
大阪生まれ 21歳で「ディラII」を結成。
25歳でソロに。
35歳から全国ひとり旅ツアーを開始。一年で日本を一周する唄のたびを続けている。
現在、大阪在住。



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OSAKA LIVE


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昼の月・夜の魚


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月の散歩