明けまして、おめでとうございます〜
元気、元気の年明けです!
いえ、ほんと、お決まりの年頭だからではありません。ほんと心身ともに元気!そしてヤル気満々なんです。たぶん。
ここでいう「たぶん」は単に年始UPに向けて、年末に書いているので推測の域というのはあるにせよ決して「maybe」という意味ではなくむしろ「sure it’ll be」な感じなのであります。
元気のわけ・その1
昨年2012年はワタクシ7の倍数齢だったんですな。なんか苦渋な年でもありました。イロイロね。当然ながら2013年は7の倍数の年を乗り切った新しい蘇生の年に違いないじゃあ、ありませんか!
で、です。
元気の訳・その2、その3はというと…
その3は時を巻き戻してPlayBack2012-7からお話ししなければなりません。少々長いことになりますが、まあ、コタツでのんびりしておられる向きも、そうでない向きも、少しお付き合いのほど、お願い申し上げまする〜
ではその2は、昨年のメインイベントといえば、すなわちダンプスピーク・ヒマラヤ6012m登山をおいてはないわけで、まずはネパール話しから__と言いたいところではありますが、それはそれたいそう長いお話しながら、別途たっぷり『スペシャル豪華付録』ということで、先に上がっておりまする。豪華付録はこちら。
ダンプスの後からが一層、時の経つのが早かった。
11月10日、11日:ドライ
アイスキャンデーはまだやぐら組みの途中だったが、赤岳鉱泉周辺にはもう冬がやって来ていた。11日は雪が降り出し、早々に引き揚げた。
11月13日、14日:クライミング
ここで亡くなったチームメイトの追悼クライミング。
11月18日:湯河原幕岩クライミング
クライミングを楽しみながら、色づいた山々を目の端にはしたが、「逝く秋」を惜しむ間もないまま12月の声を聴くより早く、雪山シーズンに突入とあいなった。
12月24日、25日:初日はドライ。翌日は裏同心ルンゼ、アイスクライミング。
12月1日、2日:初日はドライ。翌日は阿弥陀岳北稜クライミング。
12月8日、9日:天狗岳登山
8日:渋の湯周辺で雪上訓練後、黒百合ヒュッテへ。駐車場からもう雪がバーバー降っていて、寒い。
9日:天狗岳登山
そして無事下山!のはずだったんだが…
ヒュッテに戻り、デポしたものをパッキングして下山。降りる途中も時折、雪上講習があったりして、ずいぶん降りたころ、「あれ、どうしたの?ほっぺた赤いよ」と言われた時は「そーいえば、痛いなあ、とか思ってたんだ」と応えたりして、事の何たるかを知らずにいた。
茅野の日帰り湯に入るころには、両頬の頬骨ちょい下に細長い三角形状に相当赤くなってきて「それって軽い凍傷ですよね」とか言われても、それでもまだ「かもね」など応えるほどにノーテンキだった。
それが、家について鏡を見たら、すっかり黒変していてビックリ!その上、数時間後に水膨れができているのを発見した時には顔から血の気が引いた。正真正銘の「凍傷」だ!
ええーッ!
痛くもかゆくもないのにーッ?!
これって、どーなるのーッ?!
翌日、近くでは最も大きい大学病院。某昭和医大病院に受診した。散々待って診察してもらったんだが、なんだかな?な感じ。だってね、若い研修医みたいのが2、3人出てきて、「凍傷なんか、生まれて初めて見たわ」ふうで、メインのドクタときたら「じゃ、軟膏出しましょ」と言ったっきり、そのまんま返そうとするわけよ。
「あのですね、そのステロイド系とかつけたまま、日光とかに当たって、ダメなんじゃ、ありません?」
結果、大げさにガーゼで覆って、マスクをもらって、一応けじめで薬ももらって、病院を出たんだが、なんか納得いかないのよね。まあね、手指切るの足指無くなるのって話でもなく、命がどうの観点からすれば、恐らく「軟膏塗っとけ」程度の軽傷なんだろうが、予後のケアが不味くて三角型に跡になったら、いくらもう嫁には行かないからったって、やっぱヤーだよ。だってねデビルマンだよまるで。泣いちゃうよーッ!!
途中で本郷さんからのメールで知った専門医のところへ病院のはしごした。横浜・子安「杉田クリニック」。科目に「凍傷」を有している。
黒変した皮膚は日焼け後と同じように一皮むける。剥がしたりしないで、自然に剥がれ落ちるまでそっとしておいて、剥がれた後に現れる赤みのある皮膚のうちは決して日光に当てないようにすれば、跡にはならない。と杉田医師。
やれやれ、ふー!
で、もう雪山はこりごりでしょ?ってか?!
いーえー!ぜーんぜーん!!
確かに例年より気温は低く、出発時ヒュッテの気温計はマイナス20度。稜線上ではかなりの強風(天狗にしては、フツウなんだとか)。時折あおられて倒されそうになるほど。しかも結構な降雪。ゴーグルと目出帽の隙間に、雪つぶてが吹き付けられる。というような厳しい状況ではあった。けれど、似た状況にはこれまでも何度か遭遇しているし、だいち一緒に登った諸般が何ともなかったのに、何故に私だけが凍傷になったか?なんである。
今だからよけいにわかることがある。体調が万全でなかったのだ。
前週の阿弥陀岳北稜山行の時、赤岳山荘から鉱泉へ上がる道がとんでもなく凍結していて、滑った拍子にしこたま胸を打った。それだけならまだしも、実は、ヒマラヤで癒しを得た私はやる気満々で、毎日トレーニングを敢行していた。アバラが痛いなと思いつつ、アバラやっちゃった経験も幾度かあり「何といって手だてがあるわけじゃなし、我慢するしかない」「安静&養生だけが薬」とか知ったつもりになって。まずは、それがたたった。天狗岳登頂時、時間経過でアバラの痛みが増してきて、特に降りの際は両脇下に手を挟んで、胸を抱え込むようにしないと、不規則な雪の降りの1歩ずつが、アバラに響いた。
次にである。毎日トレーニングの都度、だくだく大汗かいて水分を排出した分、補給し直さなければならないとは自明の理だが、明らかに補給分が足りなかった。なぜなら、体力アップのみならず減量も同時に狙っていたから、トレーニングの都度減らした目方を少しでもキープしたい方に傾いて、水分補給の重要性を隅に追いやってしまっていた。
体調不全と水分不足、凍傷にかかったのは、単に体が正直だったというだけのことなんである。
凍傷がひと段落し、アバラの痛みが完全に消失するのに2週間かかった。もう休むの飽きた!ってほど休んだ。休んでいる間、山に行きたいと思った。氷に触りたい、岩に登りたい、とどれほど思ったことか。むしろ、できなくなって初めて、これほどに山が好きか改めて思い知った。
様々に対して精一杯、腕を突っ張って対抗姿勢で生きてきて、ここへきて母が亡くなって、ある意味突っ張ってたが故に突っ張り先がなくなって、前につんのめって、こけたのだ。ダンプスで得たものを以てして、むくりと再び起き上がれると、いや起き上がったと感じている。
変に無理はいけないが、休養も大事だが、7の倍数も抜けた2013年こそ、再生の年になるに違いない。淡々と、しかもモリモリとだ。
頑張るよ〜ん!!!
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