五木寛之、電子書籍初の個人全集が配信!電子書籍には興味も、そして批判もあります!!


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作家・五木寛之氏の個人全集『五木寛之ノベリスク』(講談社)のiPad、iPhoneによる配信・販売の発表記者会見が6月14日(火)に文京区・講談社内で行なわれ、五木氏と野間省伸・講談社社長が出席した。

まずはご挨拶からどうぞ。
野間:戦後最高の国民文学『青春の門』全14巻をはじめ、小説現代新人賞を受賞したデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』や『親鸞』、1960年代に発表された初期短編など数々の作品を電子書籍として配信していきます。
紙と電子は競合しない、むしろ相乗効果を生み出していくということがわたしの持論です。『親鸞』の書籍は67万部発行、昨年Web上で無料公開したところ、125%に売上げが伸びました。いろいろな実験を通して、マーケットを拡大していきたいと考えます。

五木:今日はリラックスした話をさせていただければと思います。1966年に講談社の新人賞に応募し採用され、作家生活の大半の柱を講談社という大きな川の流れに身を浮かべつつ今日まで来ました。そういう意味では講談社の中で育てられ、その中で仕事をして来た作家だという自負もあります。電子書籍には興味もあり、批判もあるという立場で本日はお話しさせていただきます。


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電子書籍に対してどういった点に興味、そして批判がありますか?
五木:“Kindle”など文字を拡大して読めることが非常に便利というところから感心をもちました。私は、ひと月の10日〜20日ほど旅をしている遊牧民タイプなので、旅先で原稿を書くことが多いんです。現在『親鸞』を執筆中ですが、そうすると平安末期から鎌倉時代にかけて多くの参考書が必要になってきます。そういった資料がひとつのデバイスの中に入ってしまう。それはぜひやりたい、これがいちばん興味のある点です。図書館を持ち歩いて仕事ができる! 現在、読者に読んでもらいたいなぁって思う作品が次々に絶版になっています。書店で流通している作品は全体の2%ぐらい。マイナーな愛着のある作品が消えていくことがいちばん辛いことなんです。しかし、電子書籍というものは量に制限がないので、そういった作品をもう一度提供することができる。これが電子書籍に期待するところです。
批判的なところでは、昔、音楽の仕事をやっていたんですが、スタジオの仕事がメカニック優先になってきたところ。ディレクターやプロデューサーという人が指示を出して音楽を作っていたんですが、現在は非常に高度になり複雑になって、音程を調節したり、オーケストラのパートも別録りした後で合成したり、そうするとディレクターやプロデューサーの仕事がアシスタント的になってしまう。エンジニアがアートを作るという時代。映像においても昔は“ベルハウエル”なんていうカメラで撮影していましたが、今のHDという精密なデジタル機械ですと、セッティングが大変でディレクターが指示を出せない。そういう意味で、今はエンジニアの時代。しかし、私はそれは違うだろって思うんです。スティーブ・ジョブズが言っていましたけど、やっぱりアイディアなんだ、と。アイディアが先行して、その後にエンジニアがサポートするんだ、と。

短編セットの企画を教えてください。
五木:
『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞しましたが、いったいこの作品はなんだ、ってことになっています。時代の流れの中であっちに消えこっちに消えしている作品に非常に愛着がある。その時に1作品ほんとうは10円で提供したいくらい。App Storeでは最低価格が115円、だったら3〜4作品をワンセットにしたい、と。昔、CDを作っていた時はいちばん力を入れた作品をトップに持ってきて、大きな作品を最後に、ユニークな作品を真ん中に、後はどうでもいい作品を間に詰め込んで作ってました(笑)。ところが今はiTunesとか聴きたい曲だけチョイスして聴く時代。現在文庫になっている作品ですが、私の場合、作風がバラバラでそれがそのまま短編集になっています。45年経ってもいまだにそのまま。五木寛之の音楽の小説を読みたい、車の小説を読みたい、あるいは恋愛小説を読みたいっていう読者には以前のCDの様な、読みたくない作品までつき合わされることになる。ですから車の小説だけ選んで『雨の日には車をみがいて』、『わが憎しみのイカロス』、『ヘアピン・サーカス』、『ダブル・クラッチ』とか、ジャズなら『海を見ていたジョニー』、『GIブルース』、『さらばモスクワ愚連隊』とか、読者が自分の好きな作品だけ読める、作品の系列を再編集出来るいい機会だと思いました。
でも、電子書籍を読む人たちは、基本的にタダ(無料)を期待しているんじゃないかという気持ちが強いですね。その中にビジネスを持ち込むことがどれほど難しいことかっていうこと。ただちにビジネスにはならない、時間がかかる。その中で、こういう形で講談社が差し出してくれた器に乗るっていうことは、光栄でもあるが、ある意味では捨て石になるような気もします(笑)。


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マイナーな作品に光をあてるということですが、それが書籍という形をとらないことにさびしさを感じませんか?
五木:それは当然旧世代の人間ですからあります。古い本の手触りとかを喜ぶっていうことは、新しいものが出て来るとまたその中から喜びを見つけだすと思うんです。私が以前ヨコ組の小説を出版して上手くいかなかったのは活字にあります。私たちはずっとタテ組の活字を使用してきて、たとえば細川印刷の活字を使ってほしいとか……。電子書籍でヨコ組の書体を使うなら誰かがヨコ組用の書体を作らなくてはいけない。まずは電子書籍用の書体のデザインから始めなければいけない。そして天井の余白とか左右の余白とか行間とか文字数とかその中でいちばん美しいものを作らなくてはいけない。活字の場合100年かかって完成したわけで……。
空冷エンジンのころのポルシェなんかも乗り回していましたけど、今の新しい自動車にも感心があります。それはメカニズムの面だけではなくて、デザインとか、モノとして愛することができるものになっているからです。それに対して電子書籍は、モノとして愛するものになっていない。やっぱり今の本というモノは文系の人が作って来たわけですから、技術者プラス編集者、このチームワークが絶対に不可欠であるし、編集者のセンスが非常に大きな役割を果たすと思います。
本は丁寧に保存していても日焼けするし、湿気で歪んで汚くなる。グーテンベルグが活字印刷を始めたころは、昔の羊の皮に手書きした手触りが良くて、活字の金属で印刷した本なんかって絶対言っていたと思いますよ。人間の思考は変わっていきますから、だからそれは大丈夫です。


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今回小説だけが電子書籍かされると思いますが、『わが心のスペイン』などノンフィクションの作品とか一冊にまとまらない様な作品については、どうお考えですか?
五木:題名を憶えてただいてありがとうございます。『わが心のスペイン』など、こういった作品を読んでもらいたいんです。『五木寛之ノベリスク』から漏れてしまっている作品は抱き合わせで加えて行きたい。また、別で“青空文庫”に頼んで、それはもう著作権料を放棄し無料でもいいから読んでもらいたい。五木フリー文庫というのがあってもいいと思う。あるいは、購入してくれた人におまけを付けるとか。
私は、著作権は死んだときに終わっていいと思っています。埋もれている作品を出してくれるのなら、いくらかこちらでお金を出してでも読んでもらいたい。ちょっと過激ない言い方で叱られるかもしれません(笑)
私は“対談キング”って冗談でいわれていましたが、1000人を超えているんですよね。以前全対談集を出版する予定があったんですが、あまりにも膨大なため途中で挫折してしまったんです。そういうものも電子書籍化してみたい。また、『日刊ゲンダイ』の『流されゆく日々』は36年間1日も欠かさずやってきました。こういうものをまとめるのは紙では出来ませんしね。


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『五木寛之ノベリスク』はiPad、iPhoneによる配信のほか、PC、Android向けの各電子書店でも配信。
第1期配信作品は全32タイトル、価格は『青春の門』全14タイトル各350円、『親鸞』上下巻各1200円。『五木寛之ノベリスク・特別短編セット』、『さらばモスクワ愚連隊』など短編各115円。